介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

技術より人となりが評価される介護士になるべき

今日は、人間やっぱ中身よ、というのを大層丁寧に言ってみようと思っています。

 

今日も急遽ヘルプで隣の施設に、入浴のお手伝いだけを。男性職員でしか入浴出来ない男性利用者で、僕がお手伝いしたのは3回目だったのですが、僕の名前や生まれを聞いて下さって、それに合わせた話をして下さった挙句、「あんた良い人だなあ」と言ってもらえたのが最近一番嬉しかった出来事です。

利用者から仕事の中で感謝されるのは嬉しい事ではありますが、お礼自体は礼儀として言う場合も少なくないわけで、そうではなくて人の良さというのを言ってもらえたのは、実際どうかは別として(笑)単に感謝されるより遥かに嬉しくなります。仕事ではなくて人として人生の先輩に褒めてもらえているという感覚。今頃ビールを飲みながら思い出して改めてその時の嬉しさに浸っています。

 

自分の人となりって、仕事をいくらテキパキこなしても、どんなに完璧な介護技術をもってしても褒められるわけじゃないですよね。仕事は仕事としてこなしつつ、そこで人として利用者とどう交流したかが問われるわけで。

 

 

以前、介護現場での「感謝」について記事にした事がありますが、

 

介護のやりがいである「感謝」は他では得られない質感のもの。 - 介護士こじらせ系

 

今日の出来事を考えると、介護をする事に対して利用者から「感謝」される事が利用者からの最大限の反応ではないんだな、と強く感じます。

 

 

よく、その人にしか出来ない仕事、という言葉が聞かれます。自分にしか出来ない仕事を、なんて就活生やら意識高い系の人辺りが言ってたりするかと思いますが、世の中の殆どの仕事は代わりの効く仕事です。おそらくある程度の社長業であってもそうです。

その人にしか出来ない、というのは残した仕事の結果ではなくて、誰が、あるいは誰だから、というその人自体をかなり問われた後に初めて出てくる言葉なのではないでしょうか。

 

この辺の考え方って、周囲から認められたいという思い、つまり承認欲求に繋がってくる話です。誰かに認められたいという渇望、あるいは誰にも認められないという飢餓感。身の回りの事がうまくいかなければいかないだけ強くなるものだと思います。

 

 

介護は上っ面の交流では相手に自分を簡単に見透かされます。だからこそ利用者にはそれなり以上の気持ちでぶつからない限り認められる事はありませんが、目の前の利用者に本気で向き合う、という見方を変えればごく当たり前の事をこなす事で、人として認められる瞬間が訪れる仕事でもあります。

 

 

これからの介護は、介護福祉士なんかは取得が難しくなるばかりですし、資格という形を重んじる事で質を確保しようとするように感じられます。ですが、介護福祉士を取得したからといって必ずしもその介護士の仕事の質が保証されるわけではありません。個人的には、資格を重んじる事は取得に際してこなす作業を増やすような感覚があって、これさえやれば大丈夫、社会的地位も認められる、というような安易な認識が広がるような気がして仕方ありません。資格さえ取れれば大丈夫、という資格至上主義みたいな。ですが、どんなものでもそうですが、大事なのは中身です。

 

 

基準がなく評価のしようがない、といえばそれまでですが、単なる個人的な思いとして、何が出来るか、ではなく、どれだけ人として認められるかが評価されるようになると面白いのになーと思ったりします。あるいは、自分がよく分からない、なんてありがちな悩みをもつ人は介護の仕事を真摯に行う事で自分が何かを見つけ出せる可能性があるように思います。極端な話、腰掛け程度でも介護の仕事に触れて自分を認めさせるまで続けるってのはその人にとっても、介護を理解してもらうという意味では業界にとっても社会にとってもありだよな、とも思います。

 

 

 

何がともあれ、自分が褒められて嬉しかった衝動で書いた記事でした。