介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

介護の規制緩和は現場の介護職が丸裸で炎に飛び込むようなもの

どんな仕事についていても、向上心があれば出来る仕事が増えれば増えるだけやる気が更に盛り上がっていくものです。多分。少なくとも僕は。責任は確かに増えるけど、それに応えられた時の充実感というのはいつでも良いものです。今の僕は事務仕事が増えているのでちょっとずつ残業時間が増えているわけですが、覚えていく作業なので案外苦痛ではありません。まあ事務作業ですからね、上司のチェックがあるし、早めに仕上げられればその分やり直しがきくので、今のところストレスは少ないです。

ただこれが現場の仕事であればそうはいきません。何せ相手は利用者、何をやっても常にOJTですから、ある意味一発勝負の緊張感が常にあります。思い出せば、介護を始めた初日、トイレに張り付けられてひたすらトイレ介助と、当時流行っていたノロ対策の掃除ばかりだったのは仕事初日という感覚以上の緊張感がありました。

 

 

常に利用者が相手である以上、仕事上の失敗は、例えば転倒だったり、皮膚の剥離だったりと、必ずと言っていいほど人の怪我の可能性がついてまわります。僕が介護の世界に入って怖かったのは、排泄の介助だとか入浴介助などの一見汚い、あるいはハードである仕事ではなくて、そういったものを含めた全ての介助に潜む、利用者を怪我をさせてしまうかもしれないというリスクでした。てか、今も怖い。

 

 

もっと言うのであれば、現場の介護職は常に身体介助に恐れを感じていなければいけないと思っています。そうした恐れが薄れたりなくなったりして一つ一つの介助がルーティンワークになるのが一番怖い事です。

 

 


どんどん規制緩和されていく介護職への医療行為。介護の本質を見失わない努力が求められる時代に|みんなの介護ニュース

 

 

介護職の医療行為の規制緩和への流れ、ですか。いやいや、こえーっての。

 

 

 

初任者研修を受けている時、教科書で介護職はこれが出来ない、なんて話を授業として受けたわけですが、やっぱりいるんですよね、「これ、うちやってるよ?」とかこっそり言い出す人。何だか、色々と凄いな、と考えさせられます。

 

先の記事から引用すれば、

医療や介護の業界ではそういった(1)「現場の実践先行」から(2)「法的整備」という流れが一般的です。 

 なんて書かれています。

 

 

これ、一見現場の努力を認めた的なニュアンスが漂っていますけど、実際は禁止行為をせざるを得ない現場の状況を見過ごした挙句、やってるなら良いんじゃね?みたいに惰性で許可したようにしか見えませんよね。全然良くない。

 

 

こういうのを先行して行う現場の介護職って、目の前で苦しんでいるのに自分が対処してあげられない事にもどかしさを感じているような熱心な人だと思うんですよ。そういう人が自分がリスクを背負ってでもやらざるを得ない状況があるのが問題なはずなのに、そこには焦点が合わないんですよね。基本的に、みんなやってるならしょうがなくないか?という方向性からの規制緩和です。

冒頭で述べたように、やる気をもって働いている以上、出来る事、任される事が増えるのって充実感をより感じられて良いものなんですよ。でもこの状況はその気持ちを逆手にとっている感覚があります。

肝心のリスクがどこに落ち着くかといったら、結局のところそのスタッフ個人になるわけです。一応、看護の世界だと賠償責任保険というのが結構広まっていますが、介護では日本介護福祉会の安心三重奏くらいでしょうか。

補償内容 - 公益社団法人 日本介護福祉士会

それにしたって、介護福祉士のみです。

 

仮に施設で保険に加入していたとしても、例えば今なら介護職がT字カミソリとかでの髭剃り中に事故が、なんて場合は当然禁止なので保障されません。でも、そうやって先行で実施いく事で法律まで変わっていくのが一般的だと言っている。極端な話、これで利用者が亡くなるような事があっても、この流れが一般的だなんて言えるのだろうか。

 

慣れてしまって、何となくやってしまっているとまでなってしまったら尚の事よくありません。

 

別に記事にケチつけたいわけじゃないです。あくまで一般的なのは結果論として正しいのだし、何も間違った事は言ってないわけですから。そうではなくて、国がいつまでもこれじゃ大変宜しくないって話です。

 

 

介護の規制緩和は現場の介護職が丸裸で炎に飛び込むようなものです。誰も行かないなら私が、は勇気ではなく無謀です。たまたま通り抜けられたからみんな大丈夫ってもんじゃありません。何とか防護服を着せるか炎を消すような形のサポートを期待したいなーと先の記事を読んで思ったのでした。