介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

介護がこんな状況なら手を抜く事を考えよう

皆さん、自分の介護に哲学はありますか?

 

 

僕がいつも頭の片隅において決して消す事のない哲学の一つが、「全力で手を抜く」です。

 

 

一応書き添えておきますが、やる気がない、とは違いますよ。要は、やるべきところとやらなくていいところのメリハリをはっきりさせる、という事です。

 

この哲学、以前いた職場の先輩が言っていた事で、なんだかんだ今だに僕の中にこびりついている言葉です。色んな場面で妙に応用の効く言葉なんですが、介護においても然りでした。

 

初任者研修でも言われる事ですが、介助の様々な場面において利用者が行う動作の遅さや手間取りに焦れてしまい、職員が手を出してしまうのは必ずしも良い事ではありません。

利用者が出来る事に手を出してしまうと利用者が甘えてしまい、自分でその動作を行わなくなってしまうから、というのがその理由の一つです。自分でやらない、が続く事で、自分で出来ない、に変わる事があるからです。見守りです。基本中の基本ですね。講義で言われる時にはあまり実感しませんが、実際の介助の場面に遭遇すると痛いほど分かってきます。

例えば提供時間以内に入浴が終われないほどに利用者が多い時、例えばたまたま人手が足りない状況で一人にかかりっきりになれない時、例えば送迎で時間に明らかに遅れが出てしまっている時。

分かっていても思わず手を出す時って誰にでもありますよね。

 

 

「全力で手を抜く」は、介護においては出来る限り利用者本人にやってもらい、僕は見守りに出来るだけ徹するという事になります。自分の力を使って利用者を引っ張ったり持ち上げたりする事もしないようにしたり、かがんで無理な姿勢をとらないようにしたり。

ヘルプで入った施設で、他の職員がほぼ全介助で食事してもらう利用者にも手を出さないでいたら、利用者が自分で食べただけでなく普段より食事量が増えていたのは象徴的な経験でした。僕は自分で食べるよう煽るだけ。

 

介護職の人からしたら別に大した事言ってないし、大した事していないと思われるだろうし、実際その通りなんですが、介護に関わらない人からしたらそれってどうなのかな?とこの記事を読んで思ったわけです。


「おもてなし」礼賛は日本人の思い上がりだ | 最新の週刊東洋経済 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

 

趣旨自体は少し違いますが、こんな文章がありました。

日本のサービス業の生産性が低いのは過剰サービスのためとの見方もある。何がどこまで求められているかの見極めも必要だ。 

 

これって逆に言えば過剰なサービスを望む人もいる、というところから出発した結果だと思うんですが、介護についてももしかしたらそういう側面があるのかな、と思いました。

 

 

手を出さない事も介護の一つだけど、全ての人がそう見るのか、という事です。

 

 

なんだかんだで介護もサービスですからね、見守りで介助をしない=仕事していない、と見る人がいてもおかしくないです。声かけで利用者に自分でやってもらう事が、口出して自分でやってもらうのを見ているだけの楽な仕事だなんて見られたら現場としてはたまったもんじゃないですよね。

 

 

介護に接点のない人には、何もしない介護があるという事を知って欲しいんです。

 

 

 

何でこんな事を言うのかっていったら、これから介護の世界って人材不足が加速するじゃないですか。明らかに人が足りない、なんて状況がありふれてきますよ、きっと。だったら、やらなくても良さそう、と感じるところはどんどんやめちゃいましょう。

自分で食事出来る事が目標の利用者は完全にほったらかしにしてみる。お腹が空いてりゃ自分でどうにかするかもしれません。

泊まりの施設だったら、夜間のおむつなんてほったらかしてみる。小さい時おねしょしたとして、どこの親が深夜に着せ替えなんかさせるでしょうか。朝、人がいる時で良い。

手すり使って、何としても自分で立位をとってもらいましょう。抱え上げるのなんてしんどいし。手を添えるくらいで良い。

 

 

全力でやらなくて良さそうな事を見つけて、ガンガン介護の仕事を削りましょう。これから多分介護を仕事に選ぶ人は減ります。今のままだったら職員一人当たりの負担だって増える一方です。これからは手を抜く努力をしていきましょう。