介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

初心忘れるべからず、初心こそが改善の糸口。

昨日書いた記事は個人的な感情を書いたものだったんですが、「死」や「悲しみ」への感情が薄れてしまう、というのは案外介護に携われば誰もが悩むところなのだな、と感じた次第です。

 

悲しい事が悲しいと素直に言える介護士に。 - 介護士こじらせ系

 

こうした、人が亡くなる時に感じる「悲しさ」のように、おそらく大抵の人間であれば感じるようなごく普通の感覚が如何に大切か改めて感じさせられました。初心忘れるべからず、ですね。

 

介護の仕事をしている中で、どんな事でも初めて行った作業や介助の時に自分自身が感じた感情ってとても大事だと思います。なぜなら最初であればその現場における介護の「普通」あるいは「常識」がないからです。

「普通」や「常識」は怖いもので、本来であれば絶対的な「普通」や「常識」は存在しておらず、その職場における取り決めやルール、あるいは雰囲気や空気がそれらを曖昧に規定していきます。例えそれが間違ったものであろうとも。

 

介護という仕事はその量もさることながら内容一つ一つが、人の生命や尊厳に関わる重みのある仕事です。それゆえ掛かる責任も相対的に重くなってきます。職場の「普通」や「常識」といった通念に沿う事は、そうした責任の重さから少しでも解放されようとする手段の一つにもなります。それを真っ向から否定する事は出来ないようにも思います。

 

ですが、そうする事は自分自身の感情を殺す事でもあり、一歩間違えればかえって悪い方向に向かいかねません。昨日の記事の流れで言えば、人の「死」に対して「悲しい」と感じる事自体を抑えつけるあまり、「死」に鈍感になってしまえば人間としての何かが欠ける事になってしまいます。そしてきっとそれは、利用者に対して行う一つ一つの介助にも悪影響を及ぼしかねません。

 

なぜ?と思った感情を大事にしなければなりません。

これは嫌だ、と思った事を、何でそう思ったか考えなければなりません。

利用者に関連して嫌な思いをしたのであれば、何がそう思わせたのか考えなければなりません。

 

 

思考停止になる事はどんな職種においても危険ですが、殊に介護においては業務遂行に支障が出る可能性があるばかりか、一人の人間として、という根本に影響を及ぼしかねない危険な状態です。

初心から改善を考える事は、自分が冷酷な人間に陥らない為の揺り戻し装置としての役割も果たすのだと思うのです。