介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

悲しい事が悲しいと素直に言える介護士に。

施設に入所されていた利用者が亡くなったとの連絡が入ったのは今日のお昼過ぎ、報告書のまとめ作業を行っていた時の事でした。

 

もし在宅に戻るのならまた利用したいとご家族からは言っていただいていたものの、実際の状態を伝え聞く限りでは難しいだろうな、とスタッフ全員が思っていたので、まあしょうがないかな、と感じていました。そんな中での亡くなったという連絡でした。

 

うちはデイサービスですからよほどの事がない限り看取りというものはありません(突然亡くなられて、というのは過去にあったそうです)。なので、常に「死」は隣にいるものの目の前には早々やってこない、というのが今のところの実情であり、ご家族からの連絡によって知らされる、というのが殆どです。

 

 

以前にも利用者の「死」について記事を書いていますが、このブログの存在意義の一つに自分の勉強の為、というのがあるので今考えることについて書いていこうと思います。


介護士失格? - 介護士こじらせ系

 

こんな感じで書いていました。ちなみにIngressは今現在Lv.8になっています(笑)。

 

この時の記事では基本的に淡々と取り繕うような事を書いています。今日感じた事からすると違和感ですね、なんだか。

 

 

入所施設で利用者が亡くなった場合には淡々と取り繕うのは必要かもしれません。何せ、看取りという業務が関わってきますからね。

ですが通所施設で、かつ電話連絡などで伝え聞いた場合はどうかと言えば、別に取り繕う必要なんてないんですよね。悲しければその悲しさをそのままご家族に伝えて良い。

 

歯が浮くようなセリフですが、心を込めて介護していれば感情移入するのはごく自然な事で、こういった形で訃報を知る場合にはご家族と悲しみを共有するのも介護職として以前に、人として当然だな、と思ったわけです。思い出話をするのも良し、ご家族を上手く励ますも良し。

 

こんな風に思ったのは、電話を受け、対応したうちのリーダーがそうしていたからです。利用者の名前が出てきたり、あるいはリーダーが涙ながらに話を聞いているのを見ていて以前の記事の時の自分に少し反省しました。

 

悲しくて仕事が手につかない、というのは介護のプロとして失格だと思いますが、それ以前の人としての感情をなくしていくような、熱量のない介護士になるのはもっとダメですね。

 

介護は人の人生の終末期において、日常生活における最も身近なレベルから他人に寄り添って行く仕事です。終わりが「死」である以上、残されるものの大半は悲しみの感情です。密接に他人に関わる分、不特定多数の「死」に接し、その分「悲しみ」の感情を抱く事は他のどんな職業よりも多くなるでしょう。入り込めば入り込むだけ、辛くなるのは間違いありません。しかしそれでも、他人の人生の最期をそこまで感情移入して寄り添えるのは介護士だけです。その事実を目の当たりにして、僕は今日介護という仕事のやりがいを一つ感じたような気がしたのでした。