介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

金とユマニチュード

こんばんは。今朝というか早朝というか昨日の深夜、iPhone6とiPhone6 Plus、iWatchの発表がありましたね。個人的には未だにiPhone4sのサイズが好きなので、サイズアップしていく今のトレンドはちょっと苦手です。そのくせiPhone4sのサイズは確かAppleが特許をとっていたはずなので、いつかこのサイズで復刻してもらえないかなーと密かに期待してます。

ジョブズが亡くなってからは秘密主義が解かれて事前に情報が漏れるようになったので、今回のiWatchプレゼンの始まりの「One more thing」という件は、直接は見てないですがただのサムいギャグにしか思えませんでした。ださすぎる。せっかくのiWatchの魅力がだださがりだと個人的には思います。

 

 

iPhone 6 and 6 Plus: Everything You Need To Know

iPhone 6 and 6 Plus: Everything You Need To Know

 

(もうカバーとか展開されまくりなのね。はえーよ笑)

 

 

個人的に驚いたのはU2の最新フルアルバムの無料配信。Bandcamp好きな僕は、まさかU2みたいな大物がこうした手法でリリースするだなんて…と唖然としました。今の今ダウンロードして、聴いてます。

 

無料と聞くとなんとなく反応してしまうのはフリーの文化がーとか御託を言う以前に、介護職として薄給のもとに働いている性でもありましょうか。ということで、今更ながら介護職における”金”について考えてみました。

 

 

給料日、たまには気兼ねなくコンビニでハイエンドのプレミアムビールを買って飲んでいる、そんな何ともわびしい中ブログ更新しているのが今現在の僕です。散々こけおろしましたが、iWatchなんて買うに及ばない。それどこか仕事中に履く靴がぼろぼろでも新しいのを買おうか悩む。そんなもんです。

 

うちの場合はデイサービスですから、当然夜勤なんかもありません。分かりやすく言えば、稼ぎどころがないんですよね。いや、愚痴ではないんですよ。夜勤はあまり気が進まないのでとりあえずはいいんです。

 

ある程度請求業務なんかにタッチしている人なら分かるように、国も多少介護職員の待遇を改善するために、それに割り当てるための加算を設けています。介護職員待遇改善加算ですね、確か。まあいくら事務処理として分かった上で国に請求したところで、それらを具体的に給与に反映させるのは各施設の裁量に因りますから、末端の職員にまでたどり着いているかは確かめようがない。

 

この記事で言いたいのは施設だとか管理者に対する不満ではないので、この辺りでやめておきましょう。

 

大事なのは、昨日の記事と重なる部分がありますが、発信力なのだと思います。

 

 

例えば医療の現場で言えば、病気を、怪我を治療するという大きな仕事があるという意味で待遇が良いのは分かります。そしてそれを補完する意味での看護職についても同等です。

 

例えば理学療法士作業療法士は怪我などの理由から衰えた身体機能を、直接的なリハビリや日常動作を模したリハビリによって取り戻すという意味である程度の待遇を保証されるのは分かります。

 

介護職員が利用者に寄り添って生活動作を補助する、あるいは趣向を凝らしたレクリエーションや、利用者とのありふれた会話を繰り返す事で利用者の気持ちが前向きになり、ADLを向上させていくための意欲に繋がる事には価値はないのでしょうか。

 

なんて書くとまあごくありきたりな介護職員の一見理性的な、でも実際には不満がどくどくと脈打つだけの文章になっちゃうわけですが、それじゃいけない。

こういう文脈で介護について語られる時って、一つの帰着として利用者の笑顔が、とか、こちらも同じくらい与えてもらっている、とか、奉仕の精神に行き着きがちですよね。

一見正論過ぎるし突っ込みどころがないのでそこで議論が終わってしまうわけだけど、冗談じゃないっての。奉仕の精神だけじゃ生活出来ないっての。せいぜい現状維持。将来設計も糞もない。

 

よく、結婚を機に男性職員が退職する、なんて話をネットやテレビなんかでも目にするわけですが、それってかなり危険な状態だと思いません?裏を返せば、安い仕事は女性に、とすら解釈出来ますよ。もちろん、頑張って様々な手段をとりながら続けておられる男性の方もいるはずです。ですが、全ての介護職の男性にそれを求めるのは酷ってもんです。一つの専門職として、正社員として働いているのに現状維持がやっとって、どうにかしてる。先に述べたように、介護職員が生活の補助をする事によって利用者の身体機能が戻る事だって十分あるわけですから。

 

んでこの文章を読んでおそらく感じてもらえるであろう疑問こそが介護に向けられた疑問と同じになるわけです。つまり、色々言うけどその根拠は?と。

 

 

ここで僕はユマニチュードを出します。

 

昨日の記事の中で、僕はユマニチュードが看護職にとっての後ろ盾になる、という趣旨の記事を取り上げました。では、介護の世界の中でごく当たり前のスキルの集積であるユマニチュードは介護職の後ろ盾にはなりえないのか?答えはNOです。確実に後ろ盾として機能し得ます。

 

何となく成立すると思われていたとしても、一つの学問として体系化されている事がどれだけ強い根拠となる事か。介護士個人個人が経験則から語る理屈とは説得力が断然違ってくるはずです。

 

僕は、ユマニチュードが高齢者にとって素晴らしい効果をもたらすのであれば、同じように介護者にも恩恵をもたらされてほしい、と思います。ユマニチュードが人間らしさを追求していくのであれば、介護者の生活にも人間らしさを求めたいのです。それも、決して綺麗事に終わらないような形で。

 

ユマニチュードが臨床を重ねてより学問として高みに向かう事を切に願います。そして介護が医療、看護、リハビリの分野と肩を並べられるような形になるための確実な根拠となる事で、介護者の待遇が真の意味で改善されて欲しいのです。