認知症と接遇マナー
介護事業所では未だにFAXでのやり取りがメインになっていると思うのですが皆さんの事業所はどうでしょうか。まあ営業FAXの多い事。うちは特にアナログな設備なのでそうしたものを制限する術もなく、ただただ紙の無駄ばかり。毎日うんざりしてしまいます。
そんな中で目に付いたのが、介護職向けのマナー講習。やれどこどこで実績があるだとか、やれ元CAの肩書きがあるだとか、まあ大層な謳い文句を出されているようで。本当にこういうFAXを送りつけて参加するような事業所ってあるのかなーって思ったりしちゃいます。
僕がそうした書面を見ていつも思うのは、「マナーだの何だのなんて糞食らえ」です。介護の現場、殊に認知症の方々相手の場面においては、本当に最低限の事さえおさえてあれば世間一般のマナーなんてのは意味がないと思っています。
例えば認知症の方への接し方の一つとして、利用者が見ている事を肯定、受け入れるというものがあります。幻覚を見ている方の話を頭ごなしに否定などせず、あるものとして接するなんてのは分かりやすい一例です。まあ大抵の介護職の方なら誰でも知っている対応かと思います。
そこからが重要だと思っているのですが、そうした利用者の見る世界を受け入れる事が必要なのに、なぜその世界の中心にいるであろう利用者本人への対応は私たちの世界の中にいる⚪️⚪️さんとしていかなければならないのでしょう。
幼児回帰していると思われる世界の中にいる⚪️⚪️さんを、私たちが認知症の高齢者として接するのは、本当にその人と同じ目線に立っていると言えるのでしょうか。
幼児のような視線になっている利用者がいるのであれば、周囲の介護者がその人を一人の利用者、大人、高齢者として接するのはその人の世界を否定する事でもあります。無理に現実にアジャストする事は平穏を崩す事とも捉えられます。
よく「尊厳」だとか「一人一人の尊重」という言葉が出るのが介護の世界ではありますが、その結果としてホテルやレストランのような接遇をするのは本当に「一人一人の尊重」なのでしょうか。僕はそうは思えません。
本当に穏やかなになれる環境を提供するのであれば、言葉遣いが多少ラフになる事も、極端に言えば赤ちゃん言葉に近いものが使われる事も、全くもって間違いではないと思います。
以前どこかしらの記事に書きましたが、本人が一番反応してくるのであれば「さん」付けでなくても、あだ名でも何でも良いと思います。例えば昔仲の良い人から呼ばれていたようなものだとか、愛称だとか。職員間で勝手に付ける蔑称のようなものは当然アウトですが。本人が反応出来て、アクションを起こせるのであれば丁寧な呼び方だけにこだわる必要はないはずです。
一番ベストなのは、こうした話が担当者会議のような関係者の集まる場で共有される事です。全員が共同してその人にとって最適な環境を少しでも作れるようにする事。介護者によって上の名前や下の名前、お父さん、お母さんといった呼び方になるなんていうのは、ある程度しっかりされている方ならともかく、外からの刺激に反応するのが難しい人にとってはかえって混乱を招きかねません。
マナーにこだわる、というのは、こうした周囲の人による環境作りを否定する事でもあります。確かに丁寧な言葉遣い、接し方は周囲からの見た目は抜群に良くなりますが、一方では介護職が周りからの批判を避ける為の手段であり、利用者の為ではなく介護者が自分を守る為のツールであるという本末転倒な結果になってしまいます。
誰の為のマナー、接遇なのかを、もう一歩考えていかなければならないと思うのです。
ちなみにこれは当然の事ながら全ての介護の現場に当てはまるものではありません。本人あるいはその家族などが、穏やかな余生を送りたい、送らせたい考える時に当てはまるものだと思っています。一人一人がどうなりたい、どうしたいのかというのを深く考える中での一つの選択肢としてのマナー度外視がある、というだけです。