介護では、所変われば、人はこうも変わってしまうものか、という話。
こんばんは。今日の夕飯は施設で余った利用者向けの昼食でした。見事なまでに残飯処理班となっています。独身男性介護士、なんて但し書きが付く僕は施設全体で男性スタッフが少ないということもあり、妙に重宝され、また良く扱っていただいているわけです。
今日はところ変われば何とやら、という話。
以前僕がいた施設にいたとある利用者の方。リハビリしても良くならない、という事でお試し的に施設に入所し、うちの施設の利用を止めていたそうですが、数日前に戻られたという事で戻られてからの状況を色々と聞いたんですよね。僕も知っている方だったので心配で。
事前情報では、以前とは人が変わったようだから同じ人と思わない方が良い、なんて言われていました。他にも色々と情報はありましたが、この辺は割愛します。とにかく数ヶ月の間に随分と変わってしまったという事でした。
「戻ってからはどう?」と他のスタッフに投げかけてみると意外な返答が。「何も変わっていない」と。
まだ日が経っていないという事で決めつけられませんが、それでも拍子抜けです。入所して何があったんだってくらいですよ。
改めて、環境の変化が及ぼす影響の大きさを考えずにはいられません。
ご家族からしたら四六時中介護スタッフが看てくれる入所施設って安心出来ると思うんですよ。在宅で深夜容態が変わったりしたらなかなか対応って難しいでしょうからね。
入所施設の方でも色々と工夫しているところはもちろんたくさんあって、例えば家から家具を持参して自宅の部屋と同じように配置する、とか調べれば出てくるでしょう。
でもその方の場合はダメだった。人が変わったかのように豹変してしまった。ところがうちの施設に戻ったら何の変化もなく、入所前と同じ表情を見せてくれた。
二つの事を考えさせられました。
一つは最近よく言われる接遇マナーについて。
よくうちの施設にも介護職向けのマナー講座というものがFAXで送られてきます。曰く、元航空会社CAによるものだ、とか何とか。それなりの金額を取られますよ、もちろん。
でも、そうした接客などの文脈から見たマナーが介護の業界にそのまま適用出来るのかと考えると、どうでしょう。少なくとも、今回の事例を見るとそんな事はないのでは、と思わされます。というのは、その利用者は結構長く通っていただいていた方で、正直ある程度フランクに接していた方なんですよ。長くいるスタッフなんかは余計に。
人によっては、必ずしも丁寧に扱われるのではなく、友人関係のように接してもらえるスタッフがいる方がいいと考える利用者だっているでしょう。要は一人一人の利用者とじっくり接する中でその人なりの接し方をする方が、例え多少行き過ぎたフランクさだったとしても正解になりうるわけです。場合によっては「〜ちゃん」ってくらいの呼び方の方が心地よさを感じる方だっている、と考えるべきでしょう。
もし介護職向けのマナー講座が一般的な接遇マナーを元に介護の場面場面にアジャストしただけの通り一遍のものだとすれば、高い金払うだけムダですね。そうじゃなきゃすいません、としか言えませんが(笑)。
もう一つはルーティンの大切さです。ルーティンについては以前記事にしました。
介護のルーティンワークなんか蹴っ飛ばせ。 - 介護士こじらせ系
ここでは自分がルーティンを感じたら、という視点から書いてますが、利用者から見たルーティンには触れていません。
今回の事例で思ったのは、職員からしたら退屈極まりないルーティンも、利用者からしたら変わらずそこにある、という安心感に繋がるのでは、という事です。
高齢者に限らず、僕らもそうですよね。自分にとって懐かしい、過去の思い出の場所が変わっていない事を知って何となく安心感を覚えるのではないでしょうか。卒業した学校が変わらずそこにある、住んでいたアパートが壊されず残っている、などなど。
だとすれば、日々のルーティンを作り上げる事が時として最高のサービスになるという事もありえるわけです。通常の業務に退屈してしまったのであれば、何も変わらない日常を作り上げるという事が如何に大切かを改めて噛み締めて、その上で細部のブラッシュアップをしていくべきでしょう。
人間は環境に支配される生き物です。ガラッと環境が変わってしまうような大々的な変更や改革は、利用者にとってはどうなのかという原点にどれだけ立って行えるのか考えていくべきなのでしょう。