介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

介護職は専門性という狭い枠の中に入り込んではいけない。

こんばんは。帰宅がてらIngressして帰ってきたら、自分のポータルへの攻撃通知が続々と入ってきて、通知入れたのが正解なのかどうかちょっと分からないなーと思ってます。東京とか激戦区のポータルもってると相当頻度高くてうるさいだろうなーとか想像しちゃいます。

 

 

自分のTumblr見てたらダッシュボードにこんな記事が流れてきたので引っかかりました。


カレーとライス - 僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか

 

カレーのルーの部分ばかり先に食べてご飯が残り、カレーがなくなってから白いご飯だけを食べる。そんな場面を見た筆者が色々と想像を巡らす、という記事です。

 

 

介護職の目線でいけば、この方が2つの想像をしたうちの前者である、認知症の深まりが原因なのでは?という部分にすぐ目が行き、経験則や教科書通りの解答を思い浮かべるでしょう。一つのものへの執着、主食と副食が認識出来ていない、視野狭窄はないか、などなど。まあ、僕よりずっと詳しい方からしたら様々な可能性が言及される事でしょう。

 

どんな分野においてもそうだと思いますが、目の前の事象が自分の分野の範疇に収まるであろうと考える時、意図的であるにせよないにせよ、それ以外の可能性を見ない、あるいは切り捨ててしまいがちです。今回のカレーの事例でいけば、おそらく認知症が原因の何らかの問題によって起きている、と考えて間違いではないでしょう。

 

ただ一方で、こうした形で早々に答えを出して終わらせてしまうという事は新しい思考が生まれる可能性をなくしてしまうという意味でとても危険です。介護士にとっては、人間というとても不安定な存在を相手にしているのにもかかわらず(更に場合によっては認知症という輪をかけて不安定な存在を相手にしている)、この人はこう、と決めつけるのはともすれば症状の押し付けになってしまいます。いつどう変化するのか分からないというのに。

 

先の記事で僕が引っかかったのは2つのうちの後者の考え方でした。

もう一つは「おかず」と「ごはん」の関係自体が文化的な約束事にすぎなくて、人は食べたいものを食べたい量だけ食べたい順に食べるのだろうということ。

後者の理由を考えると、日本人にとって「おかず」と「ごはん」ってなんだろう、他民族からそれはどう見えるのだろうということに興味がひかれる。認知症老人に対して自分は他民族になっているかもしれない。

 

こういう見方って、仕事として介護をすればするほど思いつかない、あるいはあったとしても確実に優先順位が低いものとして忘れ去られてしまうものだと思うんです。

 

正直答えでも何でもないし、だから何?と言われてもおかしくはないと思います。でもこれって、人を見て自由に想像を巡らせた結果でもあります。そうした先入観を一切取り払っての目線、観察眼がとても重要だな、と改めて思いました。

 

 

人間相手ですからね、一人の利用者の一つの症状を見て、教科書というテンプレートに当てはめる事なく、なぜそうしてしまうのか、なぜそんな行動を取るのか、というのを利用者目線でどこまで想像出来るかというのが重要だなと思うのです。