介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

アメリカのビレッジムーブメントは日本の高齢者にも最適か

国が変わればそこの人の考え方は様々な要因から違いが生まれるもので、一つの事象について考える時に自分たちの国ではなかなか出てこない発想が海外では存在していて面白いな、と感じる事が多いです。参考になるものもあれば、突飛だったりあまりにも条件に違いがあったりして全く参考にならないものもあったりと玉石混交ですが。

 

これはどうでしょうか。


老後の生活を助け合うバーチャルな村づくり ニューヨーク・タイムズ(USA)より | World Biz News | 現代ビジネス [講談社]

 

アメリカで実際に行われている事例です。

 

ベビーブーマー世代が定年を迎え、高齢化が進む米国社会で、同世代が加入する「ビレッジ(村)」と呼ばれる非営利団体が増えているという。

これらの団体は、希望者がウェブサイトを通してつながり、政府に頼らずにオフラインでさまざまなサービスが受けられたり、交流ができたりするというもの。老人ホームに入らずにお互いに助け合い、自宅で長く暮らすことを目的としている。

4年前に発足したテキサス州の「キャピタル・シティ村」は、50歳以上が加入の対象だ。メンバーは100~800ドル(約1万~9万円)の年会費を支払う。すると、ウェブサイトでの募集や、メンバーからの紹介を中心に集めた100以上の会社のサービスを、無料または格安で利用することができる。

 ビレッジ、個人的には凄くありだなーと感じます。介護サービスを利用していても独居で生活出来るくらいの高齢者にとってはかなり良いなあ、と思います。


新しい高齢者の社会運動“ビレッジムーブメント” | AGING Web

過去にこうしたより詳細なレポートも書かれています。

 

高齢者は、特に独居の方なんかは、自分で出来る事がどんどん狭まっていきます。(ここで言う出来る、は最低限の生活に関わる動作ではなくて、買い物に出かけるとか、庭いじりをするとか、部屋の大々的な掃除をする、などといった最低限の日常から一歩外に出た事を指します。)うちの施設でもいますが、デイサービスを利用する日以外は殆ど何もしていない、なんて方も少なくありません。仮に出かけられたとしても、行動の範囲が広いわけではないので、自分の意思に対して自分で実際に実行出来る事が限られます。

 

自分の世界が狭まる事とそれによる外部からの刺激の減少、刺激の幅の狭さはみすみす認知症を進行させてしまう可能性を秘めているし、そうならなかったとしても人生の終末期に寂しい思いをさせてしまうようなものです。何より、自分がその立場になったら、と考えると嫌ですね。

自分で選び、依頼して、ちょっとした自己実現を積み重ねられるというのは自分の生活の色を失わずに済むという意味で重要です。よく介護の世界で言われる「その人らしさ」を自分で選びとっていけるのですから。例えば独居の方が将来的に認知症でコミュニケーションが難しくなったとしても、外部に依頼したという客観的な情報の履歴によって、家族が認識していないその方の自己実現を継続出来るかもしれません。

 

 

当人にとってのメリットだけでなく、周囲の人にとっては、サービスの利用がそれだけで見守りになるというのも大きなポイントです。それだけでなく、利用時の様子なども家族などだけでない、第三者からの視点から確認出来ます。人が変わる事によって高齢者にしつこさを感じさせず状況確認が出来るとも言えます。

 

 

 

良いなあと思うんですが、実際に日本に導入するとしたら、と考えると当然難しさも割と簡単に思いつくものです。そもそもこうしたサービスを高齢者に認知してもらうには地道に戸別訪問なんかをするしかないでしょうし、そうでないとしても成年後見人とか民生委員のような人に協力してもらうなど、人力にかなり頼らなければならないでしょう。一番適任と言えそうなのはケアマネでしょうが、介護保険経由になってしまうような形なのが痛いところです。

また実際に利用してもらう場面に関しても、出来るだけ利用しやすい環境を整えなければいけませんが、電話での依頼ではタウンページとハードルが殆ど変わりませんし、ネット環境なんかは殆ど望めないでしょう。

いずれの問題を切り取っても簡単ではありませんね。

 

 

 

とはいえ、コミュニティを作り出し、高齢者の自己実現の為のサービスを提供出来るこのビレッジムーブメントは、もし日本に導入するのであれば、今の疲弊した介護保険制度の範囲外のサービスを実現出来るという意味で、これからの高齢化社会に対しての一つの解答になりえます。そしてそのサービスの幅が広がれば広がるだけ介護保険に依存する比重が下がる為、今の社会保障費に関わる問題に対してもそのあり方を提示出来そうです。

 

 

とまあ、今日はこんな戯言な記事でした。