介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

介護施設の”深み”か”幅”か

介護施設と一括りに語るけども、そこにいる利用者の状態は本当に様々で、例えばうちの施設のように、認知症の利用者を重点的に受け入れてきた施設であったとしても利用者の様子を一言で語るのは不可能に近いものです。それは、単に介護度で比較してもそうだし、介護に携わる人なら誰でも分かると思いますが同じ介護度であっても利用者によって状態に相当な開きがあるからです。麻痺などによる身体機能としての衰えと認知症の進行を同じ地平で比べてしまっているからこそ起こるわけですが、これは認定に関わる審査員が悪いとは到底言えず、そのガイドラインも勿論の事、利用者の状態が日によってあまりにも違ってくるから、とも言えます。

何れにしても、人によって状態が千差万別でありながらも、大まかに区分けしながらケアマネは受け入れ施設を探しているわけです。難しい仕事ですよね。

 

 

そんな事をこのまとめから思ったわけです。


【2ch】ニュー速クオリティ:【悲報】俺障害者、ダウン症等も大量に居るパン製造所に配属されそう・・・

 

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介護のエンターテインメントは大げさな必要はない

昨日書いた記事に対してブコメをいただいてまして、その中でエンターテインメント性、という言葉が出てきていてそれについて考えていました。最近だとレクリエーションに関しての民間資格みたいなものが出来ていたりして、楽しんでもらう、という側面での介護にどうアプローチするかというのも考えられています。あるいは、これはどこの施設でもやられているでしょうが、ボランティアによる音楽やら演劇やらダンスも楽しんでもらうという事では重要なアプローチの一つです。

 

 

ただどちらにしても、その一定の時間を楽しんでもらうという事しか出来ないので少し物足りないよなーと思ったりもします。ボランティアが常に来所出来るわけでもなく、あるいはレクリエーションを一日中やっているわけでもないでしょうから。利用者には入浴やら食事やら、リハビリをする施設ならリハビリも、あるいはそうした催し物が嫌いな人にとっては自分なりに楽しむ時間があるわけです。

そういった意味では、僕は色んなイベント盛りだくさん、というのは必ずしも売りにはならないと思っています。人によっては煩わしくてしょうがないかもしれませんからね。

 

 

エンターテインメントってなんだろう、と考えると、僕は日常の何気ない会話でクスッとでも笑いが取れていればオッケーだと思います。大げさな事をやるよりも遥かに労力もお金も使いませんからね。

ちょっとした移動で介助する時に何気ない声掛けだったり、挨拶だったり。非日常的なエンターテインメント性を追求するよりも、当たり前の日常の中での小さな楽しさを積み重ねられる方が施設としては優秀なんじゃないかなと勝手に思っています。あまり目に見えない部分でもあるので、派手なイベントをする施設に比べたら遥かにアピールしにくいですけどね。

 

 

あえてそうしたモデルを挙げるのであれば、毒蝮三太夫さんですね。喋りの中に毒がありながらもその裏に愛情が感じられて良いですね。


毒蝮三太夫のミュージックプレゼント♪~「うるせぇなこのガキは!」 - YouTube

 

ここまでさらっとは出来ませんが、僕も相手の雰囲気を察しながら毒を吐いたりします。案外、上手くいくもんです(笑)。

 

大好きな山下達郎との共演も。


毒蝮三太夫VS山下達郎 - YouTube

 

 

気張らずに小さな楽しみをたくさん積み上げていく事だって、十分僕はエンターテインメントになりうると思うし、胸を張って施設の強みだと言って良いと思うのです。

 

 

後悔先に立たずだけど

先日やや感傷的な記事を書いた時の利用者が思いの外復調していて、こいつううという気分で肘をこづくかのように何度も話しかけて会話をしていた今日のお仕事でした。ツンデレかよ。

春はまだか - 介護士こじらせ系

 

僕だけじゃなく、みんながみんなひっくり返されたような気分になると同時にその利用者の周りに集まっていたのが印象的でした。心配していたからね。うちの施設で出来る事は本当に限られるけど、やってあげられる事は出し惜しみせずどんどんやっていきたいなあと思うわけです。

 

 

全ての人に当てはまる事はありえない、という前置きをした上で言うのであれば、このような形で”終わり”を感じさせる人というのは、周囲の人にとって「どんな事をしてあげられるか」というのを実践して、「ああすれば良かった、こうしたかった」という後悔を減らす事が出来る存在であって、やや不謹慎なのかもしれませんがありがたいわけです。

 

 

 

ご家族とは違った形で利用者に接する僕たち介護士としては、プロとして身体の変化を察知して、”終わり”を迎えた利用者のご家族が抱くかもしれない「ああすれば良かった、こうしたかった」という後悔を、形は違えど叶える事で少しでも軽減する事が出来れば、と思っています。

”終わり”に向かう利用者の一つ一つの瞬間に寄り添っている介護士は、何となく先が予測出来るからこそ、その一瞬に少しでも彩りを添えていかなければならないのかもしれません。後悔先に立たずですから。

 

 

 

うちの施設が少し誇れる事は、うちで撮影した写真が遺影に採用される事が多い、という事です。普段のPRで言える事ではありませんが。そこで見られる良い表情が、少しでも利用者の喜びを引き出せている瞬間なのであれば、これほど良い事はありません。チャラけてバカをやろうが恥をかこうが、利用者にとって少しでも楽しんでもらえている環境を作っていかなきゃな、と改めて思うのです。

 

 

 

 

 

最近ハマった小林カツ代のこと

サービス提供時間中はテレビを流している事が多いのですが、お昼時になると決まってチャンネルを「きょうの料理」に変えるのは僕です。お昼を待ちながら美味しそうな料理をテレビで観て食欲を掻き立てたり、かつて主婦をやっていた大多数の女性利用者には自身の料理の話を振ってみたり。物騒なニュースが流れる事もあるテレビの中で利用者を刺激しない無難さもポイントです。最後に、僕が観たい、と思っているというのを少しだけ付け足しておきます。まじまじとは観ませんけどね。

 

先月やたらと見かけたのは小林カツ代さんの特集でした。一周忌にあたるそうで、まだまだ観たい、という声に応える形で放映していたようです。僕も名前を知っている程度ではありましたが、この特集のおかげですっかりファンになってしまいました。そんな気分でいたらこんな記事がありまして、ちょっと書こうかなと思ったんです。


「小林カツ代のお料理入門」は料理入門書界のおふくろさん。 - ネットタイガー

 

個人的にタイムリー過ぎる…。

 

 

以前にもレシピ本を買おうか悩んでいたところでしたが、この記事を読んですぐ本屋に行きました。売っていませんでしたが。あーあ、残念。探します。

 

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2つの米米クラブ

よくsoundcloudやらmixcloudなんかでjpopのmixを聴いていて、80〜90年代のmixが特に好きなんですが、結構曲が被る事が多くて、その分被っていない曲を聴くと思わず反応してしまいます。特に自分が知っていて、聴くまで忘れていた曲なんかだと尚更です。

 

 

昨日聴いていて久しぶりに引っかかったのが米米クラブです。浪漫飛行でした。実に懐かしい。


米米CLUB CM 1990年 JAL 沖縄 「夏離宮」 曲 浪漫飛行 - YouTube

 

大抵の人が米米クラブと聴くと思い出すのはこの曲と、「君がいるだけで」でしょうか。勿論超がつく名曲です。

ただ、僕には米米クラブと聴くとこの二つの名曲とは全くかけ離れた記憶があります。昔レーザーディスク米米クラブのライブを観たという記憶です。その時のライブ映像ではこの二つの曲なんてさっぱりで、やたら大所帯で、豪華なセットだったという事と、ダンサーばかりが記憶に残っていて、曲や歌っているシーンの記憶は全くありません。同じ米米クラブの記憶なのに、全く別物みたいに分かれている事が今更ながら面白いなーと思ったので聴き返してみる事にしました。

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やさしい介護の害悪

先日買った現代思想、ちびちびと読んでおります。こういう文章慣れてないので読み進むのが遅くて遅くて。

 

 

ちと気になった記述があったのでそこから記事にしてみようと思います。

 

 

もう一つ気になるのは、教育や介護する人たちの数の問題もさることながら、それとは質が違う問題である。介護者たちは、一様にというかある意味過剰にやさしい。やさしく丁寧に接することが最優先されているように見えるのである。企業でよく実施されていた接遇研修を思い起こす。だが、人としての尊厳を守ることと、必要以上にやさしく接することとは違う。介護者たちの疲れの底にあるのは、このやさしくあることからくるストレスなのではないのだろうか。

 ー現代思想 2015 vol.43−6【特集】認知症新時代 「認知症を巡る問題群」阿保順子 より

 

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春はまだか

経験を積んでいく中でなんとなく、この人はそろそろかな…と感じる事があります。それが分かってくる事も苦しみであり、それを簡単に裏切られる事がこの仕事の面白さ、あるいは人間の凄さだったりして介護は奥深いなあと思うのですが、いくら対面してきても察知出来る瞬間というのは良い思いをするものではありません。顔色、表情、目の力、声、呼吸、バイタル、手、足、食欲…様々な方向から読み取れますからね。

仕事とはいえある程度の覚悟を決めなければならないな、という気持ちと、どうすればそれを先延ばし出来るのかという思慮、最期に向かう中で何がしてあげられるかという思い入れ、その人がいなくなってしまうとどのような影響が施設として出るのかという経営的なドライな目線。難しいものです。

不思議なもので、介護の分野にも季節が影響するそうです。繁忙期と閑散期みたいなものですね。一人一人全く違う状態になるにも関わらず結果的にそうした傾向が出るというのは面白いものです。

 

その人に桜を見せてあげたいなあ、と思いながら今日1日を過ごしたのでした。

 


PV 浜田雅功 春はまだか奥田民生共演 - YouTube