介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

目先の分かりやすい良さだけで施設を選んではまずいと思いますよ

通所施設を選ぶ、変えるというのは案外難しい事です。その施設がどんな性格の場所なのか、何が出来るのかという事を見極めつつ、本人にとって何が必要か、何が大事かを読み取らなければなりません。そしてそれは、今この瞬間という”点”だけを切り取ったものではなく、「死」という終わりから逆算してどう過ごすのか、高齢者がどう変化していくのか、それに対し周りがどう対処していくのかという”線”として考えなければなりません。

 

施設のPRとして”点”を沢山打ち出している施設は沢山ありますが、”線”として寄り添う事をPR出来る施設というのはあまりないように思えます。今のご時世、デイサービスの新規開設はびっくりするくらいあって、大手企業が参入してきたり、目新しいサービスを目玉に据えたりと多種多様でもあります。国が在宅での介護を推奨している今の状況でデイサービスが増えるのはあるべき姿なのかもしれません。ある意味過渡期とも言える時代なので”点”ばかりが目立つのは仕方のない事なのかもしれませんが、解りやすい”点”がじっくりと身構えなければならない”線”を覆い隠してしまってはあまり意味がないのでは、と個人的には思えます。

 

別の大規模な施設に通っていたものの、少しずつ認知症が進行し始めて周囲が対応しきれず施設を変えたい、という事で話がきた男性利用者がいました。その方から目が離せない、という事が増えているという話でした。大規模な施設で利用者の人数も多ければしょうがない事情ではあります。

本人と家族、ケアマネで見学に来たのが少し前の事。その後しばらく返答がなくて待っていたのですが、今回の話はなかった事にという事で返事が来たのが先週でした。うちとしては受け入れる気満々だったのですが、相手からするとうちは認知症のかなり進んだ方が利用する印象が強かったようで、「まだ早い」というような認識だったようです。

何を判断の基準にするのかというのは、なかなか一筋縄にはいかない問題です。家族からしたら、本人より遥かに認知症が進んだ方々の中に通ってもらうという点に抵抗があったのかもしれません。直接は聞いていませんが、認知症が進んだらお願いするかも、という話もあったようです。

 

でもそれって、僕らからすると後手後手の対応にしか映らないんですよね、正直。

 

確かに、家族などからするとどんな人と過ごすのか、どんな雰囲気の中で日々の生活を過ごすのかというのは施設を決める上で軽くはない要素だと思います。そうした前提に立った上では、目線が他の利用者の方に向くのはしょうがないのかなと思います。職員の対応も重要な要素ですが、良かれ悪かれよほど目立たない限りはサービスの差を見いだすのは難しいでしょうしね。

一方で僕らからすると、今の段階から少しでも密に人と関われる環境で過ごす方が今の状態を少しでも長く維持出来るだろうに、と考えるわけです。利用者同士の関わりも勿論大事ですが、サービスとして職員が利用者の性格などを汲み取って関わる方が重要に思えます。先を考え、見通した上での対応が出来ますしね。

 

この辺が”点”で見るという事と”線”で見るという事の違いです。今回は僕含め”線”をしっかりPR出来なかったという反省点はありますが、”点”の部分で判断された要素が多かったように思えます。勿論、そうした家族の決断は尊重します。事実うちは”点”では弱いですから。ただ、もっと先を見通した判断をしてもらえればなあと感じるわけです。

 

 

きっとまだまだ新規で通所施設は増えていく事でしょう。施設としての蓄積がない状態ですから、設備の新しさ、他にはない独自のサービスなど、解りやすいPRは氾濫していくに違いありません。だからこそ、先手をとって、目先に捉われず”線”を見通せるようなサービスが期待出来る施設を選ぶようにするのがより重要になってくると思います。

 

というような事を最近感じています。