介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

ビックリするくらい現代的な吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」

節約、とまではいかないまでも、YouTubeで音楽を聴く事が常の僕は今日も音楽をひたすら辿っていました。そこで今日引っかかったのはこれ。


ORA TOKYO SA IGUDA - YouTube

 

そう、吉幾三の名曲「俺ら東京さ行ぐだ」です。本当はラップ系の曲を辿っていたはずなんですが…。

 

 ニコニコ動画でも散々いじられた挙句本人の公認まで出てしまって、変な形でリバイバルしてしまったこの曲ですが、ちゃんと原曲と歌詞、そして歌う本人の姿を観ると実はビックリするくらい反骨精神に溢れていてかっこいいなーと思う曲なんですよね。

もっと言えば、結局この曲の構図って、東京に憧れる田舎、な文化がずっと変わらないんだなーと思ったのです。

 

 

反骨精神というのは案外語られている部分であって、Wikipediaにも書かれていますが、この曲を作るに当たってアメリカのラップ文化に影響されていたのは歌詞が自虐的なプロテストソングである事からもわかります。田舎という文化に居住する自分の不満を、俺らこんな村いやだ、と歌っていますからね。

俺ら東京さ行ぐだ - Wikipedia

 

 

東京への憧れ、はその辺に関連して感じられる部分です。

 

東京で牛飼うだ

東京で馬車引くだ

銀座に山買うだ

 

 

何が面白いって、東京に出れば自分の抱える不満、テレビやラジオや車や…がある、という部分が解決されると思っているのだけど、それが叶えられた上での自分の夢が何かと言うと、そもそも自分が不満を感じる環境でしか見られないものでしかない、という点です。地元に不満を抱えながらも、描く夢がそんな地元の風景に縛られているというわけです。

 

 

歌詞で語られる不満が解決するような環境にいれば、銀座で山を買う事が夢になる事はないでしょう。東京に住む人が銀座で山を買いたいとか言うのであれば一度病院に行く方が良い。

でもそれを歌ってしまうわけです。それも、おそらく田舎の若者が一番の見せ場として位置付けている(のかもしれない、というかそういう設定なのかもしれないけれど)お祭りの法被を衣装として身に纏って。

 

 

この曲が発表された1984年はおそらく、今のようにインターネットが存在しないわけですから、憧れる東京に対しての情報はかなり制限されていたはずです。まして歌詞の中ではテレビもラジオもねえ、と言っているわけですから、それは相当なものでしょう。自分しか若者と呼べる人間がいないような環境の中で漠然と東京に夢を抱くのは必然なのかもしれません。

 

 

じゃあ今の世の中なら変わったのかといえば、全然変わらないと思います。バラエティ番組は変わらず東京あるいは関東の情報をメインに流すばかりで、その中身はともかくとして、漠然とそれらに憧れを抱いてしまうのは変わりありません。

例えばラーメン一つとっても、テレビで紹介されているから、という理由だけで近所のラーメン屋が勝手に印象の中で蔑まれてしまうのです。本当は近所の方が美味しいのかもしれないのに。

 

 

結局のところ、今東京に憧れを抱く田舎の人たちも、東京に対して抱いている憧れは、吉幾三が歌うように「銀座で山を買いたい」と言っているのと何一つ変わりないと思うのです。そんな理想郷ではないのに。

 

 

ニコニコ動画で色々編曲されているのとは別の角度で、「俺ら東京さ行ぐだ」は現在でも全く鮮度が変わらず通用する曲だと思うのです。