介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

”現役高齢者”

土曜日も仕事な僕たちのような職種にとっては土曜日の夜ことが一般的な職業における”花金”にあたるわけで、僕も御多分に漏れず飲みに出かけたわけです。

 

とは言っても何かと物入りな時期でもありますから、節約したいと思うわけで、出来るだけ安上がりに済ませたいとも思い、その通り安く飲める場所に出掛けたのです。

 

僕の自宅のアパートと職場の中程、歩いて行ける距離にそのお店はあります。おそらく高齢だろうと思われる女性一人で営むそのお店は天気が悪くならない限り休む事はありません。以前店に行った事はありますが、多分一年くらいは行ってなかったんですよね。

毎日目にするという事もあって飲みに行きたい!という衝動がどうしても高まるのです。

熱燗三杯と焼き鳥、おでん二食が今日その店で食べた全てです。結構あっさり目に終えるつもりですが、その店のお母さんとの会話が面白くてこれでも長居してしまいました。

 

 

昔からやっている店というのは知っていましたが、一人で46年も営業しているなんて聞けば身を乗り出して話を聞いてしまうというものです。

なんでここまで長く続けられるのか、という事で聞いた話が非常に興味深いものでした。

そのお母さんは貧乏性だから、と言ってはいましたが、働かなければいけない、という仕事への執着というか、しがみついているかのような思いが凄かったんです。

 

 

 

御年80歳というそのお母さんは、今でも毎日近所のジムで日中泳いでから店の支度をしているそうで、悪天候以外の日は全て営業している、なんて聞かされればそのワーカホリックぶりに驚かざるを得ません。ちょっとやそっとじゃ真似出来ない。というか、どこのプロスポーツ選手だ、と。

休みたいという思いは特になく、この曜日ならこのお客さんが来るだろうし、その人はこれが好きだから、と準備をする、と常に考えながら合わせて準備をするそうです。だいたいそう思っていればその人は来るから、というのは凄い話です。

 

で、しがみつくような、というちょっと良いように取られない表現を選んだのは、こうしたやり方を楽しいから続けているというわけではなく、あくまで仕事だから、というスタンスでいたからです。

よく長寿の方の話とかテレビで流れると、これが生きがいだ、この趣味が楽しいから、とか聞くじゃないですか。そうじゃない。あくまでご飯を食べていく為だ、といった形でお店をやっているんですよね。あくまで現役なんです。

 

 

仕事をリタイア、定年退職して、新たな趣味を見つけて続けていくというのも一つの生き方で良いものだと思います。それはそれで素晴らしい。新しい生きがいを見つけられない人だっているわけですから。

そうではなくて、決められた定年退職ではない、自律的な働き方もやはり素晴らしいな、と思うわけです。少なくとも今日のお母さんのようには僕は多分できないけれども。

 

 

生涯現役、という言葉がありますが、今日のお母さんを見ているとそれがどれだけ本当なものか。否定はしないけど、勝手な僕のイメージはやはり一度リタイアした上での道楽の延長線上、という意識が拭い去れません。繰り返しますが、否定はしません。でも、リアイアという段階を通過せずひたすらに続けている人を見ると、リタイア後に現役と語るものがどれだけ嘘くさい事か。

 

 

お母さんのような”現役高齢者”を見ていると、”執着への支援”という事を考えます。

 

 

歩きたい、とか、自分で食べたい、といった根源的な執着には、その分かりやすさゆえに介護者も支援がしやすいように思います。そういった生きる事に関わる支援には反応しやすいですが、その一回り外側にある、仕事や趣味などの生命維持から少し離れたところにあるものにどれだけ支援が出来るのか、と今日少し考えさせられました。その為には利用者のルーツをある程度深いところまで介護者が理解する事が必要になるでしょう。

 

 

上っ面だけの、狭めた選択肢の中からやりたい事を選ばせるような介護ではいけない、真意を読み取れなければ、と思うのです。

 

 

ちなみに件のお母さんは50年は続ける、続いたら辞める、と言っていました。それは見届けたいな、と少し思うのでした。