介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

自分で出来なかったら甘えず助けてもらえ、とブラサカの試合から感じた。

こんばんは。昨日に引き続いて、ブラインドサッカー世界選手権、日本対フランスをユーストリームで観戦しました。

サッカー日本代表対オーストラリアより見入ってしまったブラインドサッカーで感じたあれこれ。 - 介護士こじらせ系


ブラサカTV|ブラサカジャパン

 

1−1と残念ながら引き分けでしたが、見事に日本代表は決勝トーナメントに進出しています。素晴らしい!

 

両チームともPKとは、得点シーンを観る事が出来たので昨日とはひと味違う緊張感を味わう事が出来ました。音だけを頼りにキッカーが蹴るブラインドサッカーではPKでも入る入らないの確率がサッカーとは違ってくるのでドキドキが段違いですね。

 

またフランスの上手さにも感心させられました(上から目線な表現で申し訳ない)。何でブラインドの状態でヒールで繋げられるんだよ、と。テクニックはもちろん、個々の選手の聴力やコミュニケーション、空間認知能力の賜物ですね。

こんな感じで取り上げたらまだ出てきますが、昨日に続いてダラダラ書いてもしょうがないので割愛します。

 

さて、昨日と違ったのはブラインドサッカーだけの観戦という事で、一つのコンテンツに集中出来た分より細やかな”音”に着目出来たところです。

 

 

昨日の試合でも音については多少気になる点はあったのですが、今日は集中出来た分流れの中での音を拾う事が出来ました。試合中のコミュニケーションだったり、ベンチからの何気ない指示だとか声掛けだったりですね。

 

 

何だか妙に印象に残っているのが、一対一で抜かれた選手にベンチから一言、

 

「抜かれたって言え!」

 

と指導が入っていた事ですね。プレーヤーからしたら周りへのアピール不足への叱責なのでしょうが、僕はそれを聞いてなるほどなーって思いました。

 

 

 

ここから福祉っぽい話になります。Tumblrでタイムラインに流れてきたこの記事も伏線として自分の中でありながら感じた事です。

➡️helpme

 

 

残存能力って言葉があります。言葉の定義を一応より正確にする為に引用すれば、


残存能力とは 健康と介護の用語集 - CAガイド暮らし

障害者が残っている機能を発揮できる可能性のある能力のことをいう。判断能力(意思能力)についていうと、完全に失うことは稀で、何らかの残存能力を保持しているとされ、これを尊重、活用することが、障害者の自己決定権を尊重することになる。

 

ここでは障がい者という前提で語られていますが、高齢者介護の世界でも同じような意味合いで使われますよね。

 

大抵の場合、出来る事をどれだけ維持するか、という文脈で残存能力という言葉は登場します。もちろん、重要な事だと思います。人間、自分で出来る事が失われていく中で、自分が出来る事を一つでも維持する事というのはその人の尊厳を守る事にも繋がる事ですからね。だからこそ僕たちのような介護職員は利用者の観察を具に行い、何が出来ているのかという事を常に見極め、またその情報をアップデートしなければならないわけです。

 

 

でも、これって100%正しい考え方なのかな、とちょっと思った訳です。

 

 

昨日の記事で僕は、エリート障がい者という言葉を出しました。努力という概念が美化される中で(もちろん素晴らしい)、じゃあそれが出来ない人はダメな人間なのか、といえば、必ずしもそんな事はないですよね。そりゃ、僕たちのような健常者からしたら多分ダメと言われてもある程度仕方のない部分はあると思いますが、高齢者や障がい者の方々にすればそう決めつけてしまうのはどうも腑に落ちないものです。

 

 

介護職員はもちろん、理学療法士作業療法士が決められた、あるいは策定された計画の中でこれは出来る、出来るように維持する、あるいはあれが出来るように訓練する、と極めて前向きに業務に取り組みます。おそらく当人も同意はするでしょう。ただ、本人が続けていく中で感覚的に、あるいは気持ちの問題として出来ない、続けられないと思う瞬間ってかなりあると思うんですよ。根拠の有る無しは別にして。

そうすると、当人に関わる人間は何とか出来るように、続けられるようにとあの手この手を考えるはずです。強制するような言い方はしないとしても。

 

 

ただそういった方々は僕らが考えるより他人が自分に対して意図している事に敏感なんじゃないかな、と思うんです。よく高齢者は人生経験が豊富だから介護者の安易な考えは見透かされる、なんて言いますよね。

結局そうなってしまうと前向きな訴えかけや声掛けがかえって当人を追い詰め、閉じ込めてしまう事に繋がりかねないのではないでしょうか。つまり、本来頼るべき介護士などの存在が敵になってしまいかねない、という事です。最悪ですよね。出来なくてもどかしいのは本人だというのに。

 

 

だったら、残存能力なんて言葉に踊らされるのではなく、出来ない、あるいはそう思ったという気持ち、感情を尊重して、その事実を介護士が受け入れてサポートする方がよほど建設的です。常に気持ちに余裕やゆとりをもってもらえるよう働きかける、という事です。

失禁、便失禁を自分がした、という事実を受け入れられずに認知症が進む、なんて事はよく聞く話ですが、それと同じです。出来ない、出来なかったという感情まで受け入れる事の方が必要です。

そして何でも頼れる存在として本人の意向を傾聴する資質こそが介護士には必要なのではないでしょうか。その上で甘えはいなすなどしてサポートしていけば良いのだと思うのです。

 

 

「抜かれたって言え!」

 

という、ブラインドサッカーにおける声掛けの一コマ。その場その場での瞬間的な判断が必要なスポーツの中では、特にチームスポーツにおいては、自分一人で処理出来る事、出来ない事の線引きの早さは一歩誤れば危険な場面を招いてしまい、命取りとなります。トップレベルの洗練されたゲームでは、トップレベルだからこそ何でも自分でこなそうとせず、出来ない、という事を周りに伝え、あるいは周りが察知して素早くサポートする体制が整っているんだなーと感じます。

 

全てを自分でこなそうとするのは時としてかえって悪い方向に進めかねません。高齢者に、自分で出来る事、サポートが必要な事を都度明確にしてあげられるのも介護の一つの考え方として必要だな、と今日ブラインドサッカーを観ていて思った、という話でした。