介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

スタートラインとしての資格取得と介護福祉士試験までのあれこれ

世間は色々ありますが、我々にとっては介護福祉士の試験日が次の日曜日まで迫ってきています。不安になったり、何から手をつけていいかかえって分からなくなったり、逆に準備にあれこれ動いたりと受験される方々は様々な残り時間を過ごしているかと思います。かくいう僕もその一人です。

自分への備忘録も兼ねて、勉強に限らず、試験日までやらなきゃいけない事、知っておきたい事、確認したい事をまとめようと思います。

 

 

①何を持っていくのか

・受験票

・鉛筆(HB)2〜3本はいるでしょうか

・消しゴム

・腕時計(時計機能のみのもの)

この辺は必須ですね。他には、

・ひざ掛け

・上履き(必要に応じて)

・昼食(近くのコンビニで、は危険かと)

こんなところでしょうか。だいたいこの辺は受験票にある通りですね。後はこれまで勉強した参考書など、直前までチェックする資料は大事ですよね。死ぬほど自信があれば別でしょうが。

あ、後は、リラックスする為の飴玉やらチョコなんかは良いかもしれません。

 

②当日の試験会場までのルートなど

・会場までどうやって行くのか、自宅からの所要時間

・車なら駐車場はどこか

・電車なら時間

・それらから会場までの所要時間

・自分の行動のタイムスケジュール

大まかに言えばこんなところですかね。うちの施設にもいましたが、会場を既に下見された方もいるんではないでしょうか。

念頭に置かなければならないのは、通常より混む、という事ですよね。これは間違いない。車であれば最寄りの駐車場やそこまでのルートが混む事は当日のタイムスケジュールに織り込まなければならないでしょうし、電車であれば車両内の混み具合や、駅構内外の進度の遅さも考慮に入れなければなりません。試験地が遠方の場合であればなおのことですよね。僕は前日入りして泊まって朝向かう予定です。

 

③当日までに

・ここまでの弱点の復習

・自分の解答の癖を把握

・アウトプット

もはやこれから新たな知識を増やすのは混乱をきたす事にもなりかねません。どちらかと言えば出来ない事を潰すよりは、出来る事を確実に出来るようにブラッシュアップする方が良いような気がします。メンタル的にも、出来る事が仕上がる方が自信に繋がるのではないでしょうか。

 

 

分かったような口をしてごく当たり前の事をつらつら並べてきましたが、後は遣り抜くのみです。んで、今更モチベーションだなんだと言う余地がないのは重々承知していますが、最後の最後に粘れるパワーを作る為に、合格した後の自分の様々な変化を具体的にイメージする事をお勧めします。

 

試験に合格する事がゴールだと思っているのは大きな間違いです。介護職員に資格の箔がついて介護福祉士になったところで、やるべき仕事が急に変わる事はそうそうないでしょう。当たり前の事です。介護福祉士になったからといって、バラ色の未来が待ち受けているなんて事はありません。ただ、やるべき事を淡々と、です。

例えば変わる事が何かと考えると、まずは待遇でしょう。少なくない施設が介護福祉士には資格手当を給付しています。手取りが増えます。一番分りやすい実感はこれに尽きるのではないでしょうか。

施設によってはもしかしたら、生活相談員としての足がけになる事はあるかもしれません。それは、施設によっては新たな仕事の幕開けになるかもしれないし、あるいは形式上、生活相談員としての資格要件を満たしたから、という事になるかもしれません。実務的には資格がなくても出来なくはないですから。

 

うーん、こう書くと資格取る意味なんてこの後に及んであるの?なんて疑問を呈しているように思われるかもしれません。まあ確かに何も変わらないように思えます。というか、実際資格なんてペーパーでしかありませんしね。

 

じゃあ、何なのか。

 

 

これもまたありきたりな言い方ではありますが、資格取得はスタートラインです。もう少し具体的に言うと、介護福祉士の資格勉強をしていると分かると思いますが、範囲が広い。そして、広いには広いんですが、浅い。この浅さにこそ、スタートラインとする意味があるように僕は思います。

 

資格取得というスタートラインから、どういった方向に向かっていくのか、です。

 

 

概ねこの資格の取得前後で仕事が大きく変わる事は稀でしょうから、何も考えなければそのまま、ただ給料が少し上がるだけ、という何の意味もない結果になりかねません。

 

例えば人の心の動きに関心を寄せ、理論を学習する事で、あるいはそうしたバックボーンをもとに現場での接遇をする事で、ケアマネやソーシャルワーカーへの足がかりを作れるかもしれません。上記では二つ並列しましたが、どういったルートで仕事を転じていくかもその人の個性に繋がるでしょう。

あるいは、人体の構造に興味をもち、看護やリハビリの分野に進む人もいるかもしれません。

あるいは、法律や制度、歴史を深堀し、行政に食い込む、なんて道もあるかもしれません。現場を知る公務員、なんて、相談窓口なんかにいたら強いですよ。

もちろん、自分で事業を起こすなんてのも一つです。現状はなかなかに厳しいとは思いますが、チャンスがないわけではないと思います。

こう大げさでなくても、高齢者介護にいる人が障害者の分野に興味をもって進むのも良いと思います。介護、ではなく福祉、というより広い考え方になるのも十分あり得ると思います。

 

勉強しながら、なんでこれしかやらないのだろう、これって実際どうなんだろう、と思う事、多いと思います。僕は結構あります。そりゃ、字面だけ覚えれば資格を取るという意味ではオッケーかもしれませんが、実際そうもいかないです。調べたくなる、知りたくなる。

特定の分野を学習しながら、これは浅いな、と感じる瞬間はそこからキャリアプランを伸ばしていく為の大事なヒントだと思います。そしてそれを少しでも具体的にイメージしていく。そこから先何を学んでいくのか。どんな勉強をしていくのか。身につけたものをどう現場に落とし込んでいくのか。そうして、資格取得を発端とした変っていく自分を具体的に描いていく。こうなるんだ、と具体的に描けている人ほど、通過点として目の前に存在している勉強により身が入っていく。そんなもんだと思います。

 

 

そんな風にして、いろんな色のついた介護福祉士が増えるとまだまだ面白くなると思うし、そういう人を見たいと強く思うので、まずはスタートとしての日曜日の試験、頑張っていきましょう。

 

介護によって権利擁護が権利を制限する時

介護という仕事をしながらある時ふっと思い出した映画がプライベートライアンでした。

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 小学生の時、一度きりしか観ていない映画なので細かい内容までは覚えていないのですが、その時抱いた感想は今でも忘れられないし、大人になった今でも答えの出ない大きな疑問として残っています。それはつまり、

「一人の命を救う為に何人もの犠牲者が出るのは正しいのか否か」

です。当時友人に話をしたら、「なんで?良い話じゃーん」の一言で終わらせられましたが、少なくとも僕にはそうは思えませんでした。名作としての方が通りが良い映画だとは思いますが、僕にとっては文字通り「迷作」だったわけです。

今考えると、その時感じた事が実はそのまま今の仕事の中での考え方に通じているのかもしれません。

 

 

 

ところで、言うまでもなく介護における虐待はあってはなりませんが、先日こんな話を聞いた時にはちょっと驚かされました。

水分や食事を摂る事が難しくなった家族の様子をしばらく見ていたら、ケアマネからは虐待になるからすぐにでも受診させろ、と言われたという話でした。

 

ケアマネが言わんとする事が分からないわけではありません。分からない事はないけれど、悪気がないのは分かるんだけれど、ちょっと浅はかすぎやしませんかね、と思ったわけです。

どんな状態であっても、出来る限り個人の意思を尊重するというのは考え方としては最早常識です。これを否定するのはそうそうありえません。僕だって当然そうです。当然ではあるんですが、時々ちょっと俯瞰するように引いて考える時があります。先に挙げた話がその分りやすい例です。

この話をそのままこの情報だけで見る分には虐待かな、と考えるのは自然なように思えます。ですが、実際のところ介護における殆どの事例の中でこんなちょっとした情報だけで判断を下す事はありえないですよね。そこに至るまでの介護歴から家族の構成、関係性など、ほんの少し掻い摘むだけでも言葉以上に知らなければならない事がたくさんあります。

その方の話からすると、介護の方向性について散々家族で話し合って、経済的な観点も含め最終的に家庭で介護する事を選び、日々の通院の送迎やら通所介護の段取りをとって、考えるだけでなく相談などで散々役所やら施設を巡り、疲労やストレスで経済的に無理と判断した入所を、それでも今の状態から解放されるなら、と思うくらいに考え直したりと追い詰められながら最期まで看取ったわけです。全てを語られたわけではないと思います、この程度では。本当にしんどかった、とおっしゃってました。

ある程度以上の知識があったとしても、いざ自分の身に降りかかってくると非常に大きなストレスを感じさせるのが介護です。終わりの見えないトンネルの出口はその方の死です。自らの生活が犠牲になったとしても解放されたい、と考える程度には追い詰められる事もおそらく珍しい事ではないでしょう。

そんな方の状況を知ってか知らずか、目の前の光景だけを見て虐待だ、と指摘する事に強く浅はかさを感じたわけです。

 

 

高齢者の虐待で調べると、様々な事例やパターンがたくさん出てきます。そのどれにもケチをつけるつもりは毛頭ありません。ただ、そうした事例を個人の尊重の名の下に絶対的なものとして捉えてしまうと、決して小さくない歪みが生じるような気がします。今回の話でいけば、高齢者を尊重するが故に周囲の介護者の権利や感情や生活や経済が制限されてしまっているわけです。

 

要するに、「介護が必要となった高齢者の尊厳は、周囲の人々の尊厳が犠牲になっても絶対に守られるべきか」という疑問が僕の中で消えていない、という事です。個人の尊重、という言葉を聞くたびに、そうした感情が湧き出てきます。

 

昨今問題になっている介護離職なんて、まさにこの辺の落とし所がないが故に起きている問題な気がします。

 

 

公共の福祉、という中学生が社会科で習う用語があります。尊重されるべき権利がぶつかり合う時に権利が制限される、という憲法上の概念だったと思います。介護における権利と権利がぶつかり合う時の落とし所というのを、利用者だけでなくその家族も同じく注視しながら仕事をしていこう、と改めて最近思うのです。

 

 

介護の事故が人殺しにされる限りは介護離職はなくならない

よほどのサイコパスでもない限り、ほぼ全ての人は殺人犯になんかなりたくないだろうと思います。ぶっ殺す、なんてどす黒い感情が湧き上がったところで実際にそうするような人はあまりにも少数です、きっと。

介護という仕事は、忠実に仕事をこなした結果として殺人犯にされる可能性がある、というのが最近僕が思う事です。よく、人の生き死にに関わる、なんて表現が見られるわけですが、そんなんじゃ足りない。外から介護という仕事を見られる時、これくらいの重さを伴った表現でなければそこまで伝わってこないんじゃないかと感じるわけです。

 

そんな事を思ったのは、以前書いた記事にコメントをいただいたからです。

kaigokojirase.hatenablog.com

甘えないで
文句あるなら違う仕事しなさいよ

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僕の好き?な音楽って

なかなか自分なりのネタが浮かんでは消え、浮かんでは消え、パソコンの前に座ると何も書けやしない、そんな感じのこの頃ですが、ふっとこの記事が目にとまりました。

ongakudaisukiclub.hateblo.jp

 

面白そうだなーと思いつつ自分なら何だろう、とちょっと考えてました。とはいえ何分匿名で一応ブログを書いているし、思いついたエピソード自体とてもじゃないけど名前は出せないな、って感じだったので自分のところで自己満がてら書いてしまおうと思います。

 

リバティーンズ宣言

リバティーンズ宣言

 

 

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認知症と接遇マナー

介護事業所では未だにFAXでのやり取りがメインになっていると思うのですが皆さんの事業所はどうでしょうか。まあ営業FAXの多い事。うちは特にアナログな設備なのでそうしたものを制限する術もなく、ただただ紙の無駄ばかり。毎日うんざりしてしまいます。

そんな中で目に付いたのが、介護職向けのマナー講習。やれどこどこで実績があるだとか、やれ元CAの肩書きがあるだとか、まあ大層な謳い文句を出されているようで。本当にこういうFAXを送りつけて参加するような事業所ってあるのかなーって思ったりしちゃいます。

 

 

僕がそうした書面を見ていつも思うのは、「マナーだの何だのなんて糞食らえ」です。介護の現場、殊に認知症の方々相手の場面においては、本当に最低限の事さえおさえてあれば世間一般のマナーなんてのは意味がないと思っています。

 

 

例えば認知症の方への接し方の一つとして、利用者が見ている事を肯定、受け入れるというものがあります。幻覚を見ている方の話を頭ごなしに否定などせず、あるものとして接するなんてのは分かりやすい一例です。まあ大抵の介護職の方なら誰でも知っている対応かと思います。

そこからが重要だと思っているのですが、そうした利用者の見る世界を受け入れる事が必要なのに、なぜその世界の中心にいるであろう利用者本人への対応は私たちの世界の中にいる⚪️⚪️さんとしていかなければならないのでしょう。

幼児回帰していると思われる世界の中にいる⚪️⚪️さんを、私たちが認知症の高齢者として接するのは、本当にその人と同じ目線に立っていると言えるのでしょうか。

 

幼児のような視線になっている利用者がいるのであれば、周囲の介護者がその人を一人の利用者、大人、高齢者として接するのはその人の世界を否定する事でもあります。無理に現実にアジャストする事は平穏を崩す事とも捉えられます。

よく「尊厳」だとか「一人一人の尊重」という言葉が出るのが介護の世界ではありますが、その結果としてホテルやレストランのような接遇をするのは本当に「一人一人の尊重」なのでしょうか。僕はそうは思えません。

本当に穏やかなになれる環境を提供するのであれば、言葉遣いが多少ラフになる事も、極端に言えば赤ちゃん言葉に近いものが使われる事も、全くもって間違いではないと思います。

 

以前どこかしらの記事に書きましたが、本人が一番反応してくるのであれば「さん」付けでなくても、あだ名でも何でも良いと思います。例えば昔仲の良い人から呼ばれていたようなものだとか、愛称だとか。職員間で勝手に付ける蔑称のようなものは当然アウトですが。本人が反応出来て、アクションを起こせるのであれば丁寧な呼び方だけにこだわる必要はないはずです。

 

一番ベストなのは、こうした話が担当者会議のような関係者の集まる場で共有される事です。全員が共同してその人にとって最適な環境を少しでも作れるようにする事。介護者によって上の名前や下の名前、お父さん、お母さんといった呼び方になるなんていうのは、ある程度しっかりされている方ならともかく、外からの刺激に反応するのが難しい人にとってはかえって混乱を招きかねません。

 

 

マナーにこだわる、というのは、こうした周囲の人による環境作りを否定する事でもあります。確かに丁寧な言葉遣い、接し方は周囲からの見た目は抜群に良くなりますが、一方では介護職が周りからの批判を避ける為の手段であり、利用者の為ではなく介護者が自分を守る為のツールであるという本末転倒な結果になってしまいます。

 

誰の為のマナー、接遇なのかを、もう一歩考えていかなければならないと思うのです。

 

 

 

ちなみにこれは当然の事ながら全ての介護の現場に当てはまるものではありません。本人あるいはその家族などが、穏やかな余生を送りたい、送らせたい考える時に当てはまるものだと思っています。一人一人がどうなりたい、どうしたいのかというのを深く考える中での一つの選択肢としてのマナー度外視がある、というだけです。

 

 

「暗い」介護職の何が悪い

最近は外回りで外部のケアマネに会って直接話をさせてもらったり、それ以外でも電話連絡などでやりとりをする仕事が増えてきました。特に自分たちの施設の外部からの印象というのは日常の現場仕事だけでは分からない部分なので、ポジティブな事にしろネガティブな事にしろ一つ一つの意見はありがたいものです。簡単に直せるものばかりではないですが、参考にしなければ、といつも思います。

 

ただですね、たまに自分の中で引っかかる話も出てきたりします。今回はそんな中で言われた事について、です。

 

 

「暗い」という事を言われたのです。当然の事ながら、ネガティブな意味として。

 

 

 

今回の話の結論を先に言ってしまえば、「暗い」事の何が悪いのか、というところにつきます。

 

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目先の分かりやすい良さだけで施設を選んではまずいと思いますよ

通所施設を選ぶ、変えるというのは案外難しい事です。その施設がどんな性格の場所なのか、何が出来るのかという事を見極めつつ、本人にとって何が必要か、何が大事かを読み取らなければなりません。そしてそれは、今この瞬間という”点”だけを切り取ったものではなく、「死」という終わりから逆算してどう過ごすのか、高齢者がどう変化していくのか、それに対し周りがどう対処していくのかという”線”として考えなければなりません。

 

施設のPRとして”点”を沢山打ち出している施設は沢山ありますが、”線”として寄り添う事をPR出来る施設というのはあまりないように思えます。今のご時世、デイサービスの新規開設はびっくりするくらいあって、大手企業が参入してきたり、目新しいサービスを目玉に据えたりと多種多様でもあります。国が在宅での介護を推奨している今の状況でデイサービスが増えるのはあるべき姿なのかもしれません。ある意味過渡期とも言える時代なので”点”ばかりが目立つのは仕方のない事なのかもしれませんが、解りやすい”点”がじっくりと身構えなければならない”線”を覆い隠してしまってはあまり意味がないのでは、と個人的には思えます。

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