介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

記憶を引き出すトリガーのような何か。

匂いというのは五感の中で最も記憶を偶発的に引き出すもので、時にはそれまで思い返す事もなかった過去のぼんやりとした思い出を引っ張り出す事があります。あるいは思い返す事によって初めて匂いが記憶の背景に立ち上がってくる事もあります。荒井由実はかつて「生まれた街で」でこう歌っています。

”生まれた街の匂い やっと気づいた もう遠いところへと 惹かれはしない”

 

僕がこんな事を書き始めるきっかけは、送迎でお伺いするお宅が季節外れの蚊取り線香をいまだに炊き続けているからに他なりません。あの古くさいとも言える渦を巻いた蚊取り線香の匂いは、僕が小学生の頃の夏のキャンプの光景をぼんやりと引き出します。楽しかった思い出ではあるものの一番であるとは言いがたいし、何かインパクトのある出来事が起きたというわけでも、人生の転機になった経験があったというわけでもありません。

 

人生山あり谷ありなら、記憶を思い出す事はそれを上から俯瞰して辿るようなもので、その時の気持ちを完全に辿る事は不可能ですし、遠い記憶になればなるほど谷の部分の記憶を思い返す事は難しくなります。その点々とした山の部分を目立つ順に思い出すかのように、僕のキャンプの記憶は時系列もまばら、いきなり夕飯をみんなで楽しむシーンやテントを張るシーン、朝日に光るテントの朝露を振り払うシーンと順不同で現れてきます。滲んだ記憶は食べたものや話した事、遊んだ事にピントを合わせてくれません。ただただ漠然とした感情とともにぼやけた記憶の絵が通り過ぎるだけです。

 

僕は認知症について知っている、なんて言えるほど知識を持ち合わせているわけではありません。分からない事だらけです。そんな認知症を煩った利用者が、僕にとっての蚊取り線香の匂いのように彼らなりのトリガーをもって記憶を引き出す瞬間があります。それを目撃する時に彼らとの会話が楽しい、と心底思えるのです。

僕には、彼らが僕たちとは違う方法で記憶を辿るように思えます。不意に全く関連性のないであろう2つ3つの記憶を連綿と語る事もあれば、今の自分の事さえままならない方が過去を滔々と語る事もあります。そしてそんな時に、その人にとって特別重要ではない、ほんのささやかな日常を聞く事が多いのです。

 

健常者に比べて遥かにコミュニケーションを取る事が難しい認知症の彼らから過去のなんて事のない日常を聞き出せたとき、介護職としての面白さを感じるのです。

 


「生まれた街で ~ あの日にかえりたい」 荒井由実 - YouTube