介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

認知症の人を点で見ない

とても気になる記事を見つけたので取り上げようと思います。

honz.jp

 

以前もこのサイトから本を取り上げた事がありますが、これも目に止まって読みいってしまいました。「あー、分かる分かる」ってな感じです。

 

 

重い認知症の方が入院されている病院を取材した著者が書き上げたノンフィクションのレビューです。この記事を読む限りでは、こうした本がもっと認知されて、多くの人に読まれると良いのになあと思います。

 

 

 

内容はこの記事に任せるとして、個人的には認知症によってその人の個性がうわあーっと出てくる、という点にとても共感出来たんですよね。事実、今うちを利用している方々を見ていると個性がありありと感じられて、言葉が正しいかは分かりませんが、面白いんです。

事前のアセスメントなんかで、それまでの経歴なんかをある程度踏まえた上で現場は利用者に接するわけです。病気としての認知症あるいはアルツハイマーの症状はもちろんですが、それはそれとして今目の前にいる利用者の言動がどういったものかを具に見ていくと、本人が言う言わないは別にしてびっくりするくらいそれまでのその人の経歴を反映しているんですよね。

 

例えば、喋るどころか意思疎通がまるで取れない、単語ですらほぼまともに出てこない利用者の行動ですらそうした傾向が見られます。後からご家族に聞いてみると、昔この人はこうだったから、なんて裏付けが取れたりします。昔からの性格がストレートに出てくる事もあれば、逆にお堅い職業の人でじっと我慢する事が多かった反動で暴れたりするのかな、と感じられたりもします。この辺は、このレビューに出てくるように、他人に迷惑は掛けられない、自分でやらなければ、という気持ちが強いが故に手が出る、という見方の方が正しいのかもしれません。ただ何れにしても、過去の背景を推測しながら今を介護するというのは変わりません。

 

 

多分まだまだそうなのでは?と勝手に推測してしまうのですが、特に重度の認知症の方についての世間一般のイメージって、伝える側にも問題があるとは思いますが、今という点で見ただけの印象があまりにも先行しすぎているように思えるんですよね。健康な人の言動を見た時には、この人は今までこうだったとか、ああいう経験があるとかいうようにそれまでの積み重ねにもすぐフォーカスが当てられるのにもかかわらず。

 

 

批判したいというより、そこに気づいて認知症の方と接すると色んな事が窺い知れて見方が随分と変わるよ、と声を大にして言いたいんですよ、本当に。

 

 

地域で高齢者を支える、というのは、点で見た今の高齢者を身近な人がサポートするという意味合いにとどまらず、同じ地域に長く暮らしているからこそ共有出来るライフストーリーやパーソナリティを元にしたケアが可能であるところにメリットがあるのではないかと思います。地域の祭りに入れあげている人だったから、ちょっと離れたところからでも見るだけで元気になるんじゃないか、とか、そういうケアって施設なんかの取り繕った真似事じゃ絶対再現出来ないですからね。下手したら、家族も知らない一面を地域の仲間に見せているかもしれません。そういうのはそれこそどんなに家族にアセスメントをしたって得られません。

 

 

そういった、様々な背景を抱えた上での今の認知症である、と考えた上で身近な高齢者を見るだけでも、だいぶ見えかたって変わるんじゃないかな、と思いますし、そうした意味でこうした冒頭で紹介した本のようなものがもっと広がれば良いのにな、と思うわけです。

 

 

 

ちなみに、これはだいぶ想像の部分が大きい話ですが、現代人が将来認知症なんかになったりすると、実際に接した人だけじゃなくて、ネットやSNSでの様子からその人のパーソナリティが推測された上で介護されるのかな、とか考えてしまいます。

インターネット上に点在するその人の情報を元に元気だった頃の人格や性格などがまとめられ、それを元にフィジカルな介護をする、って随分SFチックな感じですよね。

mixiで他人の日記にがつがつコメントするからとにかく顔つっこみたい人なのかな、とか、やたら甘いものの写真をアップするから食べ物の好みはこれ、とか、自画撮りだらけだから承認欲求が強い、とか。んで、そうした情報を元にPepperみたいな話しが合うロボットがそばにいて、とか。

うーん、ネットをある程度活用する方が将来自分に見合った介護受けやすいかもよ、とか思ったりしますね(笑)。とまあこんなところで。