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介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

要介護になる利用者を家族がどう受け入れるのか。現場はそのサポートが出来るのか。

あくまで2ちゃんねるまとめからの引用なので、真偽は一旦おいて、内容について見てみたいと思います。

kazokuchannel.doorblog.jp

 

 

僕はあくまで仕事として介護をしているし、ある程度下の処理も行うのでどうもそうした前提を取り去る事が出来ません。なのでこちらで登場する書き込み主の友人にはどうも冷たい反応になってしまいます。介護を仕事とされている方は読んでどう感じるでしょうか。

 

 

多分この友人は自分の父親が要介護状態になった事が受け入れられないままだったのか、と勝手に想像してしまいます。父親は父親、下は下で父親と離れた全く別の存在のままで同一視出来ていなかったのかな、と。

 

 

職業としての介護では、あくまでご本人の情報は介護をする上での予備知識として頭に入れます。当然それまでの大まかな人生経験なんかも。ただ当然実際にそれまでの経歴を目の当たりにしているわけではないので、今目の前の利用者から出発してそうした情報を肉付けしていきます。利用者を知っていく起点が現在なわけです。

一方でご家族の場合は、それまでの経歴を全て目の当たりにしながら現在に至っているわけで、今の本人は、人それぞれに描いている過去の元気な、健康な姿から状態が悪化した、下降線を辿ってきた姿なわけです。起点は過去で、しかも思い出補正が入っている可能性もないわけではない、と。

勿論、今は今、と現状を見据えて介護が出来るご家族もいます。でもきっと、そうやって起点を過去から今に揺り動かすのは非常に難しいんではないかなあと思うわけです。過去の良かった頃の姿が美化されればされるほど、目の前で便失禁してしまう姿が素直に受け入れられるのには時間がかかるでしょう。

 

 

このまとめの中の友人は、過去の父親にから現在の父親への落差が埋められないままだったんだろうなと感じます。母親が主たる介護者としていて、そこに旦那が手伝って、となる中でそのギャップを埋めるほどに関われなかったのではないでしょうか。

理屈では父親の失敗した排泄物の処理と分かっていても、それを自分の中で受け入れる事を拒否していたのでは、と思います。

 

 

こういう見方の上では、ここでの旦那さんの振る舞いは職業としての介護士に近い物があります。現在を起点にして何をすべきかを考えて理性的に動いた結果ですよね。

 

 

ここでの友人は一見責められてもしょうがない、と見られてしまいがちですが、ある程度の同情は禁じ得ません。旦那さんにはひたすら同情しかありませんが…。

 

 

 

仕事柄介護士は利用者本人に寄り添う事がメインですが、こうした事例を見ると如何に家族感情に寄り添えるか、という事も考えてしまいます。安易にしょうがない、で済ませられるものではありませんしね。綺麗な部分だけ伝えてもしょうがないし、かといって汚いというか、影の部分を強調してもかえって逆効果になるだけでしょう。

じゃあケアマネや相談員だけに任せてしまえば、という無責任な感じにもなりたくはありません。

 

 

日常に寄り添う人間が家族の感情をどう溶かしていくのか。一つの課題として考えていこうと思います。