介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

利用者本位は絶対じゃないからこそ考え抜かなければならない

先日、こんな事がありました。

 

 

最近利用がパッタリと止まっていた利用者が、細かい言及は避けますが入院後の措置によってうちの施設の利用が出来なくなったそうです。うちの施設の中では比較的認知などの進行が少ない人で、利用されている時は良い表情をされていたので”なぜ”という言葉が浮かんでくるばかりでした。本人の意思とは違うところで話が進んで結果的にそうなったような印象が強く、その方の事を考えると可哀想、という言葉が出てくるばかりでした。

でもそれはあくまで施設の、現場の介護士の考えでしかなく、家族がそう判断してしまっては手出しなど出来ません。

きっと綺麗事ばかりで見てしまえば家族は責められるのかもしれません。ですが本人以上に介護する家族が疲弊し、実際に体調を崩していたそうで。それでは意味がありません。最終的には自分を大事にするべきだとも思うので、この決断自体は一つの答えとして間違いではない、と思いました。

 

 

ただ一つの事象として、ある程度自分の意思表示が出来るのにも関わらず、自分の意思とは関係のないところで自分の治療や介護の方向性が決められていくという事の恐ろしさを少し感じました。実際にされたら自分はどう思うのだろう、とも。

 

 

介護とはそういったものが必ずつきまとうものなのかもしれません。どんなに介護士が利用者の事を考え抜いたとしても利用者の事が家族の事情によって軽んじられ、強制されているかのように利用者の方向性が決められていく事が。

 

 

自分たちがする、出来る限りの介護はあっさりと消え去っていくものなのかもしれません。それでも、次、次、次へといかなければならないな、とどことなく思うのでした。