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介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

介護士が評価される、とはどういう事か

介護士とはどのように評価されるべきなのだろう、と今凄く考えます。

 

 

というのはうちの施設、今月いっぱいでまた退職者が出るんですよね。介護の退職者と聞いて違和感を感じない事自体が恐ろしい事だなあとも思うんですけどね。

 

 

一人の介護士を取り巻く環境を考えると、

・利用者

・利用者家族

・ケアマネ

・同僚

・上司

・経営者

といった人たちが思い浮かびます。

 

 

どう見られるか、という観点からこの人たちは分類出来そうです。

 

①利用者

普段接する利用者は他の人たちとは違った分類をします。身体状況などのバックボーンを頭に入れた上で、そうしたものから離れて、あくまで一人の人間としてどう関係を作れるかが評価の鍵となるからです。ここには当然、人として合う合わない、好き嫌いという極めて主観的な観点も入ってきますが、それも含めて利用者を自分の”側”に取り込めるかが介護士としての腕の見せ所です。

認知症が進んだ人でも変わりません。綺麗事みたいであまり好きな言い方ではありませんが、表情や声の出し方などでどう見られているかはなんとなく出るものです。

 

②利用者家族とケアマネ

対外的な相手です。利用者もそうではありますが、こちらの人たちはあくまでお客様。営業的な側面が多く出ます。

以前記事した事もありますが、顧客、という側面がある以上、介護を受ける当人である利用者の情報を100%ストレートにさらけ出しにくいものです。悲しい事ではありますが、ありのままを赤裸々に伝える事でかえって自らの、施設の評価を下げる可能性もあるので、どうしても若干デフォルメされた利用者像を伝えざるを得ない場合が多いです。馬鹿正直に、真っ当に伝える事は相手にはメリットはあるけれど、自分たちがご飯を食べられなくなっては意味がないですからね。他の事業者という競争相手がいる以上、全て綺麗事で済ませる事は出来ないのです。

一人の介護士、という視点からすれば、そう接点が多くない以上、悪目立ちしない、というのが優先されるのかもしれません。彼らが来所した時の接遇であったり、送迎時の言動であったり、あるいは連絡ノートなどでの言葉遣いなど。評価を上げる場が非常に限られるという点で、減点方式で見られているという意識をもつ方が良いでしょう。

 

 

③同僚と上司

こちらは普段の仕事っぷりをつぶさに見られるわけですから、何よりその職場における仕事の優先順位などを考慮した上でどう業務遂行出来るかが鍵でしょう。利用者人数が多い施設であれば、如何に仕事をこなせるかが重視されるかもしれないし、少人数の施設であれば、如何に利用者に寄り添って状態を読み取れるかが重視されるかもしれません。上司であればそうした部分を後々職員の評価として繋げる仕事があると思うので(ないところもあるかもしれませんが)、上司が何を見るのか、何を求めるのかを察知する必要が介護士にはあります。

同僚に関しては、そうした職場で重視される要素とは別に、そこの空気感をどう察知するか、が一つのポイントになりそうです。ただこれについては、空気感が正解になるかといえばならない事もあるでしょう。皆んなが少しおかしいと自覚しながらも暗黙の了解で何も言わない、という事があるとしたら、同僚の評価としては正解かもしれませんが他では不正解になりえます。

 

④経営者

現場にべったりな経営者はおそらくかなりの少数派でしょう。悲しいかな、経営者とは雇用者にとって職場にいる事自体がストレスになってしまう可能性があるのです。どんなに利用者の事を思って動いても、その手先として動く職員がストレスを感じて動きが萎縮してしまえば意味がないのです。たまに覗きに来るくらいがベストなのです。まあ当然、あくまで人間ですから、その人となりによって距離感の取り方はあるもので、経営者自身がうまく関係性を構築出来ていればこの辺の問題は小さくなるのでしょうが。

なぜストレスになるのかというと、一言でいえばその人が給料を払う人だから。直接その目に触れるという事は、例えば目の前でちょっとしたミスをしてしまえば、書類などによる報告に比べて明らかに印象が悪くなります。

逆にいえば直接目に触れる場で高評価を得られれば報告なんかより遥かに印象は良くなります。

この業界は売り上げなど客観的な数字で評価が出来ない業界なので、経営者の目に直接触れる場合は経営者の主観に評価がかなり左右されます。その辺がストレスでもあり緊張感でもあるわけです。

 

 

さて、介護士として評価される、とはどういう事なのでしょうか。

①を重視する人は、介護自体に社会的な意義を見出したり、自己犠牲を厭わなかったりと、いわゆる”意識高い系”を彷彿とさせます。この人にはこれをしてあげたい、あの人にはあれをしなければ、とある意味では視野が狭くなる可能性もあります。悪く言えば暴走しかねない。でも一方で、その辺をコントロールさえ出来れば一途に、モチベーション高く仕事ができるわけで、チューニングさえ合えばこの人たちは①以外の人にもとても良い介護士であると映るでしょう。

 

②については、良くも悪くも外っつらが良い、と言い切ってしまえます。極端な話、認知症が進んで自分の意思が表明出来ない利用者に対して失礼ともとれる態度を取っていても、言葉遣いがかなり乱暴であっても、家族やケアマネへの対応さえ完璧であれば問題無し、となる可能性があります。

でも逆に言えば、そうした部分のバランス感覚がしっかりしている人であれば、対外的なやり取りでも間違いない、という見方が出来ます。上手くやれば、個人としての評価を上げられる事は勿論の事、間接的に施設の評価を上げる事にもつながります。それが上司や経営者に跳ね返ってくれば相対的に施設内での評価も上げられるでしょう。

 

 

③を重視する人は、悪く見てしまえば世界が狭い人なのかもしれません。早々ないとは思いますが、誰に良くみられたい、評価されたいとい幼稚な理由がその人のモチベーションになっているのかもしれません。介護士が対外的な接点をもちにくいという点からすればしょうがないのかもしれませんが。

上司に評価されたい、というのも同じではありますが、その介護士と上司の関係性が上手く構築出来ていれば、このモチベーションは職場を円滑に回す為には最適の潤滑油となりえます。そしてそれは間接的ではありますが経営者への評価にもつながるわけです。

 

 

④は媚を売る、という見方が出来てしまうのでちょっと問題です。なんだかんだ直接お金を払う人間ですからね、分からなくはありませんが、職場のガンになってしまうかもしれません。

ただ、経営者が何を評価するかという、経営者目線を察知して動けるのであれば少し違ってきます。備品の節約など経費的な側面から、介護保険制度における点数を意識した行動まで。一介の介護士という視点から一度離れて、全体を俯瞰してみる事が出来るのであれば経営者は勿論、上司の評価も良くなる事でしょう。利用者一人ひとりの為に、というのは素晴らしい事ですが、幅広く評価されたいのであればこうした視点は重要であり、経営者の評価を気にするという事は介護士としての働き方の幅を広げられると思います。

 

 

 

どれが一番か、というより全部程よく、が理想です。一見めんどくさく感じるかもしれませんが、普通の社会人ならこれくらい当たり前かと思います。これくらい当たり前、と言えないといつまでも介護の社会的な評価は上がらないだろうし、もしかしたらこの辺を上手く出来ない人が多いから偏見をもたれるのかもしれません。

 

 

評価される、というのは重要です。今時アルバイトだって定期的な面談で評価を伝えられたり、足りない点を指摘されたり、あるいは自己評価だったり目標設定だったりを課せられる時代です。ちょっとやりすぎだとは思いますが。

長々と評価について書いてきましたが、それが本人にフィードバックされる仕組みがなければ評価の意味はほぼありません。改善出来ないからね。

今回うちの施設で退職者が出る、というところから記事を書いてみましたが、評価だとかフィードバックだとか堅苦しい話の前に、本人にその辺を伝えられる環境だったのか、それを出来る人がいたのか、本人がそれを受け入れる姿勢を見せていたのか、という点がちょっと疑問ではありました。低レベルだなんて言わないで下さい。いや、言われても仕方ないか。

何れにしても、働く以上自分以外の人間の評価は絶対的に存在するはずで、特に介護は客観視しにくい業界だと思ったので、どんなもんかと考えながら少し整理してみたわけです。

 

 

少なくとも言いたいのは、利用者の為に、というツッコミの入れにくい言葉がやり方次第では殆ど評価されない単なる自己満足にしかならない可能性がある、という事です。一つ一つの介護も社会に繋がっています。これは間違いない。視野を狭めず、自分が今やっている介護がどう広がっていくのかを少し想像してみるのも良いと思います。