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介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

「デザインの梅干」、目印から介護を考えてみて

Eテレで今日から始まった、「デザインの梅干」という番組を観ています。「デザインあ」、と同じ、デザイナーの佐藤卓さんが監修されているそうで、以前から楽しみにしていたのですが、その期待を裏切らない感じで面白いです。「デザインあ」、の大人向けバージョンですね。

 

 

今回は床屋のあのくるくる回っているあの渦巻き、barberサインから目印について語られています。面白いですね。当たり前は当たり前じゃない、頭でっかちな自分に常に言い聞かせた言葉です。

 

 

カメムシの件は、良かったですね。環世界という概念、特に覚えておこうと思います。

※環世界

環世界 - Wikipedia

すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え

 

 

僕は介護の人間なので介護における目印、という概念について考えてしまいます。一つ思うのは、認知症の人は目印を失った状態なのか、はたまた認知症によって違う目印を作り上げているのか、という点です。

徘徊を考えると、その人の中のランドマークを失ったが故に、つまり目印を無くしてしまったが故にもとの場所に戻れなくなってしまうとも言えるし、あるいは僕たちが見ているものとは全く違った世界が視界の中に広がっていて、その中でその人独自の目印が見えているが故にそこに向かって動いているのではないか、とも想像出来たりします。もし後者が正しいとすれば、眼に映るものが違うが故に僕らにはその目印は分かりません。僕たちには表面上、ただその人がふらふらと出歩いてしまったとしか見えないわけで、そこをどうやって突破してその人の視点に近づくことが出来るのかがその人に寄り添う為の鍵になるわけです。

 

番組でも言っていたように、人間にはそれまで生きてきた経験があり、それによって先に挙げた環世界が構築されます。認知症の場合、そうした経験が引き出しをひっくり返したようにバラバラになってしまっていて、そのバラバラの状態からランダムに取り上げてその時々でその人の知覚世界を作り上げてしまうようなイメージがあります。だから、僕たちには到底分からないタイミングで急に過去を思い出して泣き出してしまったりします。

 

ユマニチュードで言われる、目線を捉えるという考え方。それは、単にその場での介護における利用者との意思疎通だけでなく、比喩的な意味として、その利用者がその瞬間にどんなものを見ているのか、その目に何が映っているのかを捉える必要があるのではないでしょうか。

そしてその為に、その人のそれまでの生き方や経験などを把握する必要があります。なんて書くと、結局のところ当たり前の介護の考え方に集約されてしまいますね。

 

 

逆に、その人の人生におけるトピックを見つけ出して、介護の中で目印として活用するのも一つの考え方だなとも思います。カクテルパーティー効果によって名前が他の何かより本人にとって響く事と同じように、その人が目印と出来る何かを介護者が把握して上手く誘導する。少なくともうちの施設の利用者を見ている限りでは、こうした目印によって普段の声かけとは違う、あるいはそれまで無反応だったのがふと反応する場合があります。

 

 

目印、という出発点から介護を考えると案外色々な事が喚起されて面白いです。今日はまとめる気もなく、だらだらと散文的です。