介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

介護から離れた時の「介護」という言葉のイメージのネガティブさ

随分としょうもないことを書いてみようと思います。

 

 

介護とは全然関係のない場所で、スラング的に「介護」という言葉が聞かれる時のネガティブな響きが妙に引っかかります。あいつは結局仕事じゃ何もできないから俺が介護した、とか、あいつとあいつが自由にし放題だから彼は彼らの介護しっぱなしだった、みたいな感じです。

 

 

あれが凄く嫌なんですよね。ああ、またか、って思っちゃう。

 

 

 

サポートに奔走した、という事をより強く、しかもそればかりに追われてしまったといった時に使われるような気がします。

 

 

 

言葉が比喩的に使われる時って、その言葉が本来使われている場所においてその人が抱いているイメージが現れますよね。介護に関して言えば先に書いた通りで、ダメな人をサポートする事に悩殺されているイメージが比喩的に介護という言葉を使う時に現れます。似たようなところだと、「お守り」という言葉が使われる時もそんなイメージが重なるような気がします。

 

 

 

そりゃあ、ある程度は間違っていないけど、でもそのイメージが全部でもないわけで、分かりやすいとはいえそうしたネガティブなイメージが先にきてしまう限りは全般的な介護のイメージもそう簡単に向上しないんだろうな、と思ったりします。

 

 

こんな事書いている事自体が良くないのかもしれないけれど、言葉のもつイメージ自体が変わるような状況になれば様々な問題などの見られ方も変わるのかな、と思っています。うし、頑張ろう。