介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

気を遣わせている、という意識

何度となく出る話題ではありますが、今日も急遽隣接施設へのヘルプに。男性利用者の入浴介助を行いました。初めての方でしたけど、ある程度お話も出来たし割にスムーズに終えられました。

 

 

普段いる施設が認知症が進行した方ばかりの施設なので感じられませんが、今日入浴介助をした利用者からは

「大変な仕事だねえ」

「わざわざありがとうね」

「やってもらって申し訳ない」

などと声を掛けられ、改めて直接感謝を伝えられる仕事なんだなあ、と実感しました。そんな事言われたら余計に気合が入るものです。色々と話も聞けて僕もありがたいなあと思いました。

 

 嬉しかったのですが、一方で利用者には常にどこかしら気を遣わせてしまう仕事なんだよな、と改めて感じました。今日ほぼ初対面の利用者であったという事、僕の介助技術が未熟なせい(とは思いたくはないけれど)かもしれませんが、そういった側面を除いたとしてもあくまで他人なんだ、と感じさせるには十分でした。

 

何を当たり前の事を、と言われるかもしれませんが、案外この辺の意識って徹底し切るのが難しいんじゃないかな、と思うわけです。

 

 

あくまでお金を頂いている立場だというのも分かるし、そういう関係性である以上、通常のお客様と店員、という関係と殆ど同じである事は十分理解しているつもりです。

 

ですが、身体介助が伴う事で常に肌が触れ合い、またトイレ介助や入浴介助などによって普通であればまず見せる事のない姿を晒しているのが介護施設における利用者なんですよね。

こうした場合の考え方としては、基本的にプライバシーの保護という観点から語られる事が殆どです。肌を露出させてしまっているから、とか、その露出させてしまう時間が長い、とかです。要は羞恥心です。

ですが、こういうのは恥ずかしいに決まっている、と考えている結果としての考え方であるのも事実です。いや、間違っているわけではないですが。

そうではなくて、自分のこうした姿を見せてしまって申し訳ない、と考える人がいるというのもおそらく事実だと思うんですよ。少なくとも、僕が今日介助した利用者からはそうした発言が聞かれました。

 

 

こういう場合は羞恥心を感じるだろうから、という視点で介護における場面を見極めるのは重要ですが、そこに留まってしまうと「やらせてしまって、見せてしまって申し訳ない」と考える視点を欠く、妙に上から目線の思考になってしまうのは事実です。結果として気をつけるべき点が同じだったとしても、根本的な部分での思考回路が随分と変わってしまう為、そういう意味で恐ろしいなと感じるのです。

 

 

いや、多分少しでも分かっている講師が務める講義であればこのくらいの事は言うと思います。ですが、現場に埋没すればするほど相手方の思考って消えがちですから、こうして備忘録的に残そうと思うのです。