介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

同情するなら金をくれ、で素直に金を出すバカはいない。

例えば中学校や高校の進路相談を思い浮かべてもらえれば分かりやすいと思うのですが、自分の現時点での学力などの立ち位置、それを踏まえての担任教師の提案、親御さんの考え方や意見、あるいはそれぞれの家庭の事情を全て踏まえた上で進路というものは決められていきます。何度も擦り合わせを行いながら、あるいはその過程での学力テストの成績を見ていきながら、より本人の希望に近い形を取れるよう動いていくのが普通です。(もちろん、全てがそうだとは言い切れませんけどね。ある程度一般的な進路についての考え方として、です。)

どんな事があろうと、結局のところ進路指導においては、その可否はともかくとして、自分がどうしたいか、という意思表明が必ず求められてきます。それは結局のところ自分の人生だからです。その意思表示が発端となって周りが動いていくわけです。

 

就職活動なんかは更に一つ進んで、周りからどうしたいか、と問い掛けられる機会がグッと減ってきます。あくまでその人の人生だから、というところからです。そして何より、自分からアクションを起こさなければ何も動いていきません。進路指導のように、この日までに考えてこい、まとめてこいなどとプレッシャーをかけられる事もなく、更にそこにテストの点数などから見た客観的な意見などを述べられる場面もありません。

進路指導が意思表示によって周りが動いていくものであれば、就職活動は周りを動かしていく活動なわけです。

 

 

人間、人生のステップを登っていくにあたっては必ずと言って良いほど、自分の意思表示が必要になります。それがない人はいつまでたっても物事は進んでいかず、無駄に時間だけが過ぎていきます。自分の強い意志ことが行動の指針になるわけです。

 

 

何でこんなごく当たり前の事を改めて述べているのかと言えば、認知症の方、あるいは障がいをもった方にとってはそれが急に当たり前ではなくなるからです。

 


認知症の現場で「当事者の声」はどう扱われるべきか | 新潮社フォーサイト

紀子さんの担当であったケアマネジャー、すまいるほーむの利用以前からずっと関わり続けてきた地域包括支援センター社会福祉士、紀子さんの財産管理を担っている成年後見人、そして紀子さんの家族との間で紀子さんの今後について話し合った結果、地域の小規模多機能型居宅介護施設に急遽移ることになったのだ。

本人の意思に関係なく、「善意」によって決められていくその後の人生。まるっきり自己主張が出来ない人ならともかく、多少なりとも自分の意思表示が出来る方の意思が反映される事なく自分の身の振り方を、しかもそれが事前に知らされる事なく、いきなり目の当たりにする心境を想像すると胸が痛みます。

 

ここで問われるのは、人として当たり前、と感じる事を介護の場面ではどれだけ達成出来ているのか、という点です。認知症だからしょうがない、と決めつける事が人としての尊厳をどれだけ傷つける事か。同じ人間なのに、教育と介護でなぜここまで差が生まれるのか、です。

 

 

認知症の人の意見を聞くのは時間の無駄なのか。確かに時間はかかるかもしれません。では、そう考える人は中高生の時、自分の将来の展望を聞かれて淀みなくスラスラと言えたのでしょうか。そしてそれを元に現実的な行動指針を即座に建てられたのでしょうか。

 

学校の先生は担任を受け持つ限り、毎年同じタイミングで一度に30〜40人の進路指導を繰り返さなきゃいけないわけです。介護の場合は一度にそこまでの人数の進路を考える必要はないわけです。

意思表示が確実に出来るかは分かりませんが、少なくとも全く聞かない、確認しないというのは完全な怠慢ですよね。というか、そう考えなくてはいけない。

 

業界人は介護業界の地位向上を、給与水準の向上を訴えます。でもいつまでもねだってばかりいては何も返ってこないでしょう。世論的な面から少しは給料は上がるかもしれません。しかし、先日ニュースでありましたが、上昇目処が1万円とか言われるわけですよ。どれだけ舐められてるんだと。

介護業界にいる平凡なヘルパーならこれくらいでいいだろ、と国に言われているようなものです。僕も以前記事にしたように給料は上がるべきだと強く思っていますが、それにはやるべき事、出来る事は最大限にやるのが大前提だと思ってます。

介護士に清貧を求める事の愚かさ。 - 介護士こじらせ系

将来の介護の為に、介護職の給料を上げてみんな遊ばせるべき。 - 介護士こじらせ系

 

教師ばかり晒し上げるような形になるのは不本意ではありますが、でも同じ人間がやっているなら、相手に子どもか認知症かの違いはあっても意志の確認は同じです。教師に出来て介護士に出来ないってどういう事でしょう。当然ヘルパーに限らず、社会福祉士やらケアマネやら、あるいは福祉用具に関わる人でもそうです。先進的な人たちだけが出来る事ではなくて、全体がそういう考えにならなきゃいけないでしょう。それがやるべき事は最大限に行う、の一つです。

 

取り上げた記事のように、認知症の人をプロが動物扱いするような、本人の意思を確認する事もなく施設移動させてしまうような介護じゃいつまでたってもダメだよな、と今日は随分な綺麗事を思ったのでした。