一人でやり通す介護は美談か。要介護者は家族の恥か。
ちょっと衝撃だったこちらのTweet。
病気になった母を一人で介護する熊谷真実。介護がつらく「たまには伯母さんと交代していい?」そう頼んだ娘に母が言った「あなたには子供がいないし人の愛し方も知らない。私の面倒を一人で見続ける事で無償の愛を学びなさい」この狂気と呪縛の言葉が美談として語られるテレビ(母への感謝状)すごい。
— 平民金子 (@heimin) 2014, 11月 26
これ、いつどの番組でやってたんでしょう。熊谷真実さんの親子の関係などが分からないし番組も観ていないので、母への感謝状を読み上げた事自体に意見する事は出来ませんが、だからといって一人で介護をして無償の愛を学ぶ、なんて事を一般論としての美談に仕立て上げられてはたまったもんじゃないですね。そもそも介護は大変なものなんですから、一人で抱えるような事を美化しちゃダメですよ。
僕の数少ない経験で申し訳ないですが、多分いい介護が出来ているご家族は一人で看続けるなんて事はないと思います。他の親戚や近所の人、周りの友人などにオープンで、程よく頼って、いいところで息抜きが出来て、閉じこもっているような事がない方ほど介護をしっかりやっている印象があります。オープンだからこそこちらも話や意見がしやすいんですよね。
逆に「私がしっかり介護しなければ」と抱えてしまうかのように一人で介護を行う方は踏み込んではいけないタブーのような領域をもっていたり、少し話がしにくかったりする印象があります。もちろんそんな人ばかりではないでしょうが。
逆に、色んな事情で、家族を介護しているという事を隠したがる方々がいます。家としての建前の部分だったり、あるいは商売で悪い印象を与えてしまうから、とか理由は様々です。その為あえて近所のデイサービスなどを使わない、なんて人もいたりします。
その根底にある感情は”恥”でしょう。
呆けた家族が外でメチャクチャな事を言ってしまったら恥だ、とか、そんな具合に。
僕は以前自分が認知症になったら、という事を記事に書きましたが、
認知症になった自分、あるいは麻痺など身体が動かせなくなった自分を家族が”恥”だと感じていると知ったら、多分惨めで生きていたいとすら思わないでしょう。
国が地域社会やボランティアに介護の一端を担ってもらいたいと考えているのは介護に掛ける予算がないというのは勿論でしょうが、それだけではなくて高齢者を家族だけではなく、地域全体で見守っていかなければならないとも考えているからでしょう。それは間違っていないと思います。
でも要介護者を恥ずかしい、と考える人がいたり、あるいは一人で介護をやり遂げることをテレビが美談として祭り上げてしまうような状況がある限り、まだまだ介護のイメージは日陰者のままなのかな、と少し悲観的にすらなります。
もっと頑張れよ、テレビの影響力って強いんだから。
一つ付け加えておくのであれば、テレビで有名人が自分の介護談を語るのは大いに賛成です。全くもって恥ずかしい経験ではないので。ただそれをどう扱うか、が問題だと思っています。
有名人の体験談という事で、最近一番気になっている本です。今度買おうかな。