自分が認知症になっても平気?
毎日認知症の方々と触れていて言うのは何ですが、僕は死ぬときには認知症かガンか、と聞かれたら、どちらも嫌ですが認知症とは答えないような気がします。それは、周りに迷惑を掛けられないから、と感じているからです。いや、今うちの施設に来てくださっている方々が自分たちに迷惑かけているなんて思っているわけではもちろんないんですけどね。そう分かっていてもこんなふうに考えます。
もしかしたら、自分が認知症になる事で周りに迷惑は掛けられない、と思うからこそ、その気持ちの裏返しとして認知症の方と接した時に避けるような対応をしてしまう人がいるのかもしれません。無理解だと言ってしまえば一方的な正義はかざせるけど、難しいものです。
昨日の記事の延長線上の話かもしれません。
障がいをもっていようが認知症であろうが同じ人間だから、という時に生まれる差別意識。 - 介護士こじらせ系
冒頭の質問はこの記事からそのまま引っ張ってきたものです。
《1678》 認知症になっても住み続けられる町・鹿屋 - 町医者だから言いたい! - アピタル(医療・健康)
いやーこの鹿屋市の方々、凄いですね。つまらない御託は置いておいて、自分が認知症になったとしても大丈夫だ、と感じることが出来るという事、そしてそう感じさせるだけの環境。
理解しているという事の一つの解釈として、相手の立場になっても大丈夫という事は理解の到達点の一つであると言えます。
この辺の考え方はまたどっかでまとめていかなきゃな、と昨日の記事と陸続きに思います。って事で今日はこんなところで。