「障がい者スポーツ」という言葉の違和感。
先ほどの記事からの続き。話が散らかりまくったので分けています。先ほどはあくまでブラインドサッカーについての記事でしたが、もう少し福祉目線から見た記事を書こうと思います。
サッカー日本代表対オーストラリアより見入ってしまったブラインドサッカーで感じたあれこれ。 - 介護士こじらせ系
ブラインドサッカーだけじゃなく、例えばパラリンピックでの競技なんかでもそうですが、そういったスポーツを括る「障がい者スポーツ」という言葉自体が障がい者を差別しているようで必要ない言葉だなと感じます。彼らは純粋にアスリートで、だからこそ障がい者という括りを付ける事なく、フラットに敬意を表したいものです。例えばこちら。
フェデラーも絶賛する日本のテニスプレーヤー「クニエダ」って誰? - NAVER まとめ
ここにもあるように、フェデラーは国枝選手を車いすテニスプレーヤーだから、ではなくて単にプレーヤーとして絶賛していますよね。これくらいでないといけない。
昔NHKの番組にとある障がいをもたれた方が送った投書で使われていた言葉が非常に印象に残っています。
「エリート障がい者」
これは某チャリティー番組に出てくる、登山だとか水泳だとか、そういった目標に向かって頑張る障がい者に対して使った言葉です。障がい者だからってみんなあんなふうには頑張れない、というような文脈で出てきた表現だったと思います。
障がいをもっていても頑張る人がいる、みたいな余計なバイアスをかけて感動を演出する事に対しての違和感の表れのようにも感じます。
何か目標に向かって頑張る人というのは障がいをもっていようがなかろうが素晴らしいものです。障がいという言葉で格差をつけてどうするんだ、と。
知識や情報として障がいや認知症なんかの事を理解しながら、その上でそうした事を抜きにしてフラットに接していかなきゃいけないなーとブラインドサッカーを観て思ったのです。
先の記事の冒頭の散歩の件もそうです。認知症だから、とか危ない、とかそういう心配より、まず散歩したい、という意思をどれだけ安全に尊重出来るかを考えなきゃなーと改めて実感しました。それは一人の人としてやりたい事なのですから。
あ、あと、「障がい者」って単語なんですが、どういう表記が正しいんでしょう。「障碍者」「障害者」なんてのもありますが。いちいち漢字を当て換えるのやめて欲しいです。