介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

将来の介護の為に、介護職の給料を上げてみんな遊ばせるべき。

こんばんは。明日はポッキーの日ですが、やっぱり恥ずかしくて当日買う勇気はなかなか出ないですね。

 

 

さて、昨日の記事が少し反応していただけて凄く嬉しい限りなのですが、昨日書かなかった続きと昨日の記事への補足を今日は書きたいと思います。

 

介護士に清貧を求める事の愚かさ。 - 介護士こじらせ系

 

 

まず補足について。

取り上げた記事を書かれた方から、まずは努力をしなければ、とコメントをいただきました。全くその通りだと思います。常々感じている事なのですが、介護職の方のブログだとか2chのような掲示板での愚痴が目立つ事目立つ事。これだと、いくら普段頑張って介護を行っていたとしても「こいつら愚痴ばっか」と思われても仕方ないと思うんですよね。でもそれだったら、多少大風呂敷を広げているような話だろうが綺麗事ばかりの話であろうが、前向きで建設的な事を発信する方がよっぽど良いと思います。目指すべきゴールを見据える事で初めて現実的なステップとして努力を重ねて行く事が出来ると思うので。そしてそれこそが愚痴だらけの日々のルーティンを抜け出す為に必要ですから。

 

ただ、人間の行動は環境にかなり左右されます。その例として取り上げたのが以下の記事です。


底辺から這い上がって語る貧乏 都会とカップラーメン - Togetterまとめ

 

貧困に喘いでいると節約の為の自炊という努力すら出来なくなってしまう、という事を実体験として示していますね。

低賃金の現状が続くと、かなり強く意思を貫けなければ前向きな努力さえ出来なくなってしまう、だったらまず賃金上げるべきでは?という事で書いたのが昨日の記事でした。金銭的なゆとりをもつということは目の前の風景や環境を分かりやすいくらいに変えてくれますからね。

もちろん、お金があるという環境に甘える人が出てくるのも事実だと思うのでやはり本人の努力は不可欠ですが。

 

いずれにしても、介護士それぞれの努力の積み重ねとそれを取り巻く環境の向上の両者が揃ってこそ介護全体のレベルの底上げが出来るのだと思います。そして、昨日の記事はその環境の部分にフォーカスを当てたかったんですね。

 

 

以上、補足でした。

 

ではここから、昨日書かなかった給料を上げるべき理由について書いていこうと思います。

 

 

一言で言ってしまえば、増えた給料で遊べ!です。

 

 

何言ってんだって思われても仕方ないと思いますが、これはこれで結構真面目にそう思ってます。

あえて付け足すんであれば、今でもやっているような趣味だとか遊びじゃなくて、今までだったら出来ないような新しい遊びに挑戦して欲しい、と思うんです。間違っても増えた分パチンコだとか賭け事に費やしちゃいけない。

 

チェーン系の居酒屋で仕事の愚痴を吐き出しながら飲むのであればちょっと洒落たバーにでも行ってバーテンダーや近くに座った人と会話を楽しんでみたり、ちょっと奮発してレストランに行ってみたり。

 

体を動かすのが好きなら、個人で楽しむだけじゃなくてスポーツ教室みたいなのに入ってみたり。

 

新しい楽器を始めてみたり。

 

旅行が好きなら、今まで行った事のないところまで足を延ばしてみたり、あるいは宿泊先のランクを上げてみたり。

 

 

美術館に通ってみたり、あるいはジャズバーみたいなところに行くのもありかもしれません。

 

 

とにかく、ちょっと背伸びをする感覚のある遊びをして欲しいんですよ。

 

日常生活の延長線上にある、あるいは連続性のある余暇の過ごし方だけでは、経験値が上がり止めしてしまって、全てがルーティンになってしまうと思うんですよ。同じような事ばかり話していては、職員のボケが始まってしまったか、と思ってしまうくらいですよ。

 

なんでそんな事を言うのかというと、これは先を見据えた上での話になるんですが、これから団塊の世代が介護世代に突入してきます。漫画「ヘルプマン」の一コマでもあったように、団塊の世代は遊びを知り尽くした世代になるわけです。そうした世代に対して、目の前の生活、仕事にいっぱいいっぱいの介護士たちが対応しきれるのか。

 

意外と大きい問題だと思うんですよ。そりゃ、話を聞いている分にはいくらでも対応のしようはあると思います。でも介護の仕事は話を聞くだけではないですよね。レクリエーションなんかは分かりやすい例で、いつまでも童謡歌っていれば大丈夫、というわけじゃないし、ゲームなんかでもあまりに幼稚な事ばかりやっていると利用者が離れてしまうと思います。

これで何が起こるかというと、例えばリハビリがしたい人であれば訪問リハビリだけ受けていれば良い、という事になります。同じく風呂に入りたいなら訪問入浴に。ITが発達してくるのであれば、わざわざ通所施設に通わなくても、繋がりたい人と繋がっていればいい、ということになります。デイサービス、デイケアの存在意義が薄れてしまいます。

 

 

団塊の世代を迎えるにあたって、介護士にはより視野と経験、受け皿の資質が求められるように感じます。いつまでも教科書で見た、とか本で読んだでは済まないはずです。その意味で、介護士の給料を引き上げ、一人一人の介護士のバックボーンを広げてあげる努力をしなければならないのでは、と思うのです。

 

 

ちとまとまりがないですが今日はこんなところで。