介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

介護士に清貧を求める事の愚かさ。

こんばんは。今日は何を書こうかと考えていたら夜になり、餃子の王将でネタを思いついたので書こうと思います。とりあえず、この酔拳的なブログ更新はちょっとダメだよなーと思いながらの更新です。

 

 


介護士の離職率が高い理由 - 男の介護ヘルパー365日


介護職員の離職率の高さについて考えたけど、給与が問題なの? - 福祉の基本

 

Twitterで流れてきたところからこの辺の記事を読ませていただきました。僕なんかより簡潔にまとめられていて読みやすいし勉強になります。

 

それでちょっと思った事をダラダラ書いていこうと思います。

 介護職の賃金が安い、という議論が出てくる時にいつも思うのは、賃金の安い、高いの水準がビックリするくらいに低いという事。介護士の平均月収が約21万という事に対して思うのはその辺ですね。そりゃもちろん生活は出来ますよ。でも、生活出来りゃ良いってもんじゃないでしょう。憲法25条、生存権で保証されているように、「全て国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」わけです。

結論から言えば、21万円という数字は少ない、と思う訳です。

 

じゃあ、まず最低限度の生活って何でしょう。憲法では規定されていません。


最低限度の生活とは - コトバンク

 

規定されていない分、中学校の公民でも習うように、国の考える最低限度の生活ってのはもの凄く低いところに設定してあります。ほら、生活保護を受けている人がクーラーを買いたいって言ったのに認められずに亡くなってしまった訴訟、覚えてますか?

朝日訴訟 - Wikipedia

 

だからこそ、国が平均月給21万円にあまり疑問を抱かないというところには凄く怖さを感じます。これくらいお金あれば大丈夫でしょ?くらいに考えてるんじゃないかって。いや、そんな事ないです。

最低限度の生活について考察されているのがこちらの記事。


「健康で文化的な最低限度の生活」に必要なのは、カネやモノだけなのか - シロクマの屑籠

 

この記事に、

さりとて、明白な障碍を持っている一部の人達を除けば、こうした、判断力の領域やエモーショナルな領域の欠乏を補うようなシステムは存在しておらず、「自己責任」の名のもとに、生活を転覆させていく人は後を絶たない。このあたりは、自己決定権の問題ともリンクしているため、むやみに「保護という名のもとの行動制限」をすべきでは無いだろうけれども、もう少し、なんとかならないものなのか、と思うことはある。

 

 カネやモノがあったとしても、それに判断力や情緒が伴っているのでなければ、現代人が現代人として生きていくのは難しい。今、この瞬間にも、どこかの誰かが、判断力や情緒のセキュリティホールを突かれて“現代のブラックホール”へと吸い込まれているのだろう。

 

 とあります。判断力、情緒というものが伴って初めて文化的な生活が付随してくるわけです。こうした要素は、冷静に周りを見渡せるだけの視野が伴って初めてもてるものだと思います。その辺がかなり具体的に書き綴られているまとめがこちら。


底辺から這い上がって語る貧乏 都会とカップラーメン - Togetterまとめ

 

ここにある、

「できて当たり前なのになぜしないのか」と無責任にそういう能力を身につけるコストを無視した意見

という言葉にその生々しさを感じます。そしてここにかなりの部分が集約されているな、とも。

 

 

思うに、介護職には求められているものって、世間が苦学生に「貧乏な学生なら節制して真面目に勉強して、アルバイトをいくつも行って学費を稼いで…」みたいな清貧を求めるのと同じ物を感じます。「嫌な顔一つせず、奉仕の精神でケアをして…」みたいな。

 

「出来て当たり前の判断」「情緒なんて制御出来て当たり前」という無責任さが見え隠れしていますよね。福祉の世界に奉仕の精神を求めようとするのであれば、それ相応のコストはかかって当然です。もちろんどちらもしっかり能力としてもてる人もいますが、介護系の不祥事を見ていれば分かるようにそうでない人も多いですよね?


認知症女性の下腹部の毛を切る 「ストレス解消」元施設職員の男逮捕 - 産経ニュース

 

なぜこんなことするんだ?なんて誰でも思いますよね。多分本人も後からそう思っている事でしょう。ただ、行為に及んだその時、これをしたらどうなるか、という判断力と、たまっていたストレスを制御する情緒の両者が欠けていたんだと推測されます。いつまでもこうした不祥事を個人、そして教育する施設の責任だと考えていては問題はなくならないでしょう。

 

清貧を求める人に一番足りていないのは、求める相手も普通の人間である、という考えです。よほど強い意志をもてる人でなければ、ちょっとした事でストレス抱えますよ。そしてお金がないのであればはけ口をもてず、ストレスはたまっていく一方です。

文化的な生活を少し角度を変えて見れば、友人などと遊んだり飲み明かしたりするような、本来誰でも出来るような事も文化的であると言えます。そしてそれはストレスを解消する為に一番有用であるとも言えます。残念ですが介護職の給料ではなかなか叶えにくいのが現実だと思われますが。

 

初任給の手取りが10万だった、あるいは12万くらいで働いていたという人がいる上での平均月給21万円は、介護職として、いや最低限度の生活を送るためには明らかに足りない、そう考えるんです。

 

 

介護職の給料が低い事への問題点について書いてきました。違った視点からの考えもありましたが、あんまりダラダラしすぎてもいけないので明日書いてみようかなと思います。

 

 

さーてヨルタモリ待ちです!楽しみだー!!!


ヨルタモリ - フジテレビ