本当の意味での介護現場、家族、ケアマネなどの情報共有の難しさ。
介護の現場においては、利用者の体調や認知症の進行から、食事の摂り方、コミュニケーションの取れ具合などあらゆる面において周りを取り巻く人全てが情報共有出来ている事がベストですが、それぞれの立場での思惑や考え方からなかなか情報が伝わりにくい、あるいは場合によっては隠されてしまう、という事は以前記事にしました。
以前は経営的な目線から書きましたが、それだけではもちろんなくて、その利用者のため、という思いがそれぞれに少しずれてしまうという事からも情報共有されにくくなる事はありえるな、と今日思ったのです。
ある程度利用者の認知症が進行してしまうと本人の意思という物が汲み取れなくなってしまうため、普段在宅で介護を行う家族、そしてその声を聞きプランを立てるケアマネの意向が利用者の介護の方向性を大筋決めます。ある程度担当者会議で話は出来ますが、実情を報告する以上の事はよほど信頼がなければ難しいでしょう。
デイサービスや在宅時の利用者の様子を”線”だとしたら、担当者会議というのはその中からポイントとなる”点”を出来るだけ拾い上げて方向性を決めていくものです。ですがあらかじめ方向性が決まってしまっていては、そこに沿わない情報はよほどの事がない限り切り捨てられるでしょう。例え本人にとって、実は一番必要な活動についての情報だったとしても。
なんでこんな事を書くかというと、とある利用者がデイサービス利用からヘルパーメインで在宅での介護に移行するかも、という話がきたからです。ご家族からしたら元気がなくなってきてあまり外出したがらない(本人がよくそう言う)様子を見て、サービスを変更したいと考えているのかもしれません。ですが僕たちからすると、一度外に出ると様々な事に刺激を受け、興味をもつその利用者が在宅になる事で刺激を失い、かえって認知などが加速的に進んでしまうのではないか、と心配になります。
”死”という一つの帰着点から考えると、時間的にゆったりとそこに向かってもらいたいと考える施設側と、最も落ち着くであろう自宅でそこに向かってもらいたいご家族の考え方の違いなわけです。
施設側からしても利用者への思いがあってそうした意見を出す訳ですが、あくまでも意見です。繰り返しになりますが家族の意向が本筋なわけで、見方によっては施設側の意見はわがままとも言えます。
経営という側面から見て、長く来所させて売り上げを、と穿った見方をされてもある意味しょうがないのかもしれませんね。
経営という目線と現場目線での思いというの乖離は、情報を伝えにくくも、伝わりにくくもするのだなと改めて思うのでした。この辺はこれからも僕にとっての課題として浮き上がってきそうな気がします。