介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

介護とリハビリの共同。

こんにちは。今日は出先から更新しています。某カフェチェーンでパソコン開いていますが、何となくまだまだ気恥ずかしいですね。ドヤ顔なんてとんでもない。スペース使わせていただいているくらいの気持ちです。

 

 

出典は割と古い記事ですが、昨日Twitterで流れてきた記事が興味深かったので取り上げます。

リハビリテーション新聞: 過度な介護サービスの罪とは

通所リハビリテーションと唱っている割には、リハビリ的な要素は、在宅生活に負けているだろう。主な敗因は環境的な要素である。見晴らしがよくてバリアフリーであることが、かえって利用者の活動を妨げている。 

 

とても共感出来るとともに、リハビリと介護が共同出来ていない事の分かりやすい事例だな、と感じます。

 

 

前者について。うちでもよくあります。とある利用者に歩行練習をしていただくのに誘導しようとすると、「危ないから」という理由で止められた事があります。でも、送迎に行くと分かるのですが、その方が家で動かれる時は、ご家族が一人で手を引いて歩いているんですよね。この場合の「危ない」は、単に転倒するかもしれないから、ではなくて、「施設内で転倒してしまうかもしれない」という意味での「危ない」になるわけで、自分たちのリスクを避けるために逃げているに過ぎないんです。その辺は、実際のご家族の様子が送迎に行かない分見れないからこそ、余計に想像しにくいのかもしれません。

 

通所介護の送迎は深入りすれば何より面白い業務である。 - 介護士こじらせ系

 

ここでも書きましたが、家庭の様子を確認する送迎という業務はこうした場合に証言出来るという点でも重要ですね。

 

 

一方後者について。先に書いたように、リハビリと介護が共同出来ていない、という問題が透けて見えるのがこの記事の筆者の現場での問題でもあったりするわけで。

 

変な話、リハビリスタッフからある程度の指示や具体的な介助方法などの指導があれば、介護スタッフはそれに沿って業務に当たる事も出来るんですよね。それは理論的な裏付けがあるからこそです。住宅のバリアフリー化についての意見書なんかを彼らは書く訳ですから、それに対応した施設内での対応も同じように意見として出せると思うんです。

 

介護資格に比べて資格取得までのプロセスが長く、かつ資金的にも時間的にも多くを費やすリハビリ分野ですが、一度現場に入ったのであればそれぞれの分野から対等に、意見をぶつけ合っていかなければならないな、と記事を読んで改めて思うのでした。

通所にある車椅子を捨ててしまえば、スタッフも知恵を絞り出すだろうか?

他人事みたいに言うなっつーの、といった感じですね。

 

ちなみに僕がリハビリ職に思う事は、仕事が高度で大変な分金はちゃんと貰ってるんだろうから、間違っても現場に出たんなら見下したり、上から目線で語るんじゃねえ、です。ありがたい事にうちの施設にはそんな人がいないので余計なストレスを感じる事がなくて良いんですけどね。