介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

介護士失格?

こんばんは。仕事は当然のようにフル出勤でしたが、出勤退勤の時間にやりましたよ、Ingress。職場の近くが比較的ポータルの多いエリアなので、アイテムが稼げるんですよねー。今日はCOMMと呼ばれる、同じチーム同士のみで閲覧できるコミュニケーションの場で、改めてエリアの管理の仕方のノウハウを教えていただきました。まだまだ僕はこれに慣れていないので発言はほとんどないに等しいですが、他のエージェントとのコミュニケーションは取るようにして関わりをもつようにしていきたいですね。本当Ingressは面白い。

早くLv.8になりたい!!!!!!

 

今日驚かされたのは、前の職場で介助させていただいていた利用者が亡くなったという連絡でした。僕が介助させていただいていた時は要支援でしたが、最近は要介護になっていたようではありました。具体的な介護度までは今は分かりません。

多少、認知というほどに話が出来ないというわけではなかったのですが、僕が関わっていた時にはおしゃべりな方だなーという印象の強かった方でした。事務処理の面では、多少込み入った事情があってか少しこじれているようです。

 

 

これは僕が介護士として失格だなと思う点なのですが、利用者が亡くなったと知らされた時に仕事として対処するのに、事実を聞いてから多少なりとも時間がかかってしまうのです。噛み切れないスルメイカのようなものです。事実として分かっていても、いつまでも消化し切れずモヤモヤと感情が残ってしまうのです。

それは利用者に思い入れがある、というのとは少し違います、多分。多少なりとも話をしていたし、一度話せばそれなりに意思疎通が取れていた相手です。特別好きだった、と感じている訳ではないです。ですが、意思疎通が取れていた以上、相手の感情に少しでも入り込めていたという意味でモヤっとしてしまうのです。

 

 

介護職に就いている以上どうしても避けられないのが利用者の死です。仕事に埋没してしまえばそうなると思うのですが、例えばデイサービスに来ていた利用者が特養などに入所したとしても、その先でどうなったかというのは気になるところになるはずです。人と接する以上、それは起こりうる感情だと思うのです。

 

 

ですが、「仕事」として処理するからには、そうした個人的な感情というのは業務の支障となる、不必要な感情の一つになりがちです。

いつまでも凹んでいては仕事にならない、などです。

 

 

 

僕が介護職についてから常に離れない疑問はそこから生じます。つまり、

「人として当たり前の悲しみの感情を抑えなければならない人間が、ある意味最も思いやりの必要な高齢者を相手とした仕事を行う」というどうしようもない矛盾です。

 

 

利用者を介助しているうちは、どんなに細かい感情や言動の変化にも気を配るくらいに細やかに一つ一つを観察しなければならないのに、その利用者が亡くなったという事実を突きつけられた瞬間に切り替えろ、と周りから要請されるという感情の揺れ動き、そして矛盾。僕の中では今でも答えはありません。

 

僕は利用者の死を知らされるたびにいつも、関わっていた人の顔や言動を観察します。それは、それぞれの人がどのようにして死を消化していくか知りたいからです。

ある程度経験のある人、うちの職場でいえば介護福祉士まで取得している人は表情が変わらずに事実とそこに込められた意味や家族、親族の対応、予想されるこれからの展望まで語ってくれます。そこには冷たさは感じられず、ただただその人の介護士としての勤めの真っ当さを感じるだけです。そうでない人には、ある程度の傷跡を感じます。それは介護士として以前に、人としてどう思うか、という面によるのかもしれません。

 

どちらが正解か、それは今の僕ではまだ分かりません。おそらく、このまま真っ当に資格取得していけば、どこかで消化するべき点が見いだせるのかもしれません。そして、結果として先に挙げた人たちのように淡々と対応出来るようになるのかもしれません。それはプロとして、正解の対応なのだと思います。

 

 

では僕がこういった利用者の死に対してするべき、感じるべき、対応すべき事は何か、と聞かれたら答えはこうです。

「自分なりに死へのショックを受け入れつつ、他人にそれを感じさせないくらいに淡々と消化する事」です。

 

 

…なんて、ありきたりの事を書きました。そして、これはこれまでも僕の中で変わらず感じて変わらず抱えていた疑問でした。今回でその疑問が晴れたというわけではありません。ですが、今日思ったのは、その矛盾を解消するのではなく、その振れ幅を広げるように感情の幅を広げなければならない、という事でした。

 

 

これまで僕は、こうした感情は医療関係者や介護士特有の感情でしかない、と思っていました。職業病のようなものだと。

 

 

ぜんっぜん違う!勘違い甚だしい!思い上がりもいいところ!

 

 

と思ったんですよ、今日は。

 

 

誰もが「死」に向き合う時に感じる感情を介護士はたまたま先端で感じているだけなんですよね。それを凄く強く感じました、今更。

 

 

だから、介護士に求められるスキルは実は、「死」を受け流す事ではなくて、いち早く「死」を感じ取って親族より先に消化して、その結果を態度として示す事なんですよね。

 

 

介護職に就いている人は利用者の「死」について鈍感になるべきではないし、むしろかなり敏感にならなければならないのだな、と思ったのです。そして、それを家族より先に消化して、さも当然のようにやり過ごさなければならない。

 

前に所属した施設での利用者の「死」、それは、改めて介護職の特殊性を実感させられる出来事なのでした。

 

 

 

 

 


oasis- champagne supanova - YouTube

 

大好きなoasisの2ndアルバムから。アルバムの最後として飾られるこの曲は終わりにぴったりという意味で、人生の終焉にもふさわしい壮大な曲だなーと思うのです。