介護士こじらせ系

Bandcampとユマニチュードが気になる介護職の雑記です。

目先の分かりやすい良さだけで施設を選んではまずいと思いますよ

通所施設を選ぶ、変えるというのは案外難しい事です。その施設がどんな性格の場所なのか、何が出来るのかという事を見極めつつ、本人にとって何が必要か、何が大事かを読み取らなければなりません。そしてそれは、今この瞬間という”点”だけを切り取ったものではなく、「死」という終わりから逆算してどう過ごすのか、高齢者がどう変化していくのか、それに対し周りがどう対処していくのかという”線”として考えなければなりません。

 

施設のPRとして”点”を沢山打ち出している施設は沢山ありますが、”線”として寄り添う事をPR出来る施設というのはあまりないように思えます。今のご時世、デイサービスの新規開設はびっくりするくらいあって、大手企業が参入してきたり、目新しいサービスを目玉に据えたりと多種多様でもあります。国が在宅での介護を推奨している今の状況でデイサービスが増えるのはあるべき姿なのかもしれません。ある意味過渡期とも言える時代なので”点”ばかりが目立つのは仕方のない事なのかもしれませんが、解りやすい”点”がじっくりと身構えなければならない”線”を覆い隠してしまってはあまり意味がないのでは、と個人的には思えます。

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ディテールにこそ、愛情は宿る。

いつも思っているのですが、介護について語られる時に、綺麗事や美談、あるいは情熱だとか社会貢献だとか、そうした極めて抽象的な表現が出されるのは本当に嫌いです。以前記事に取り上げた事のある介護甲子園みたいな、「暖かい心」「ご利用者様から頂く感動」などという一見美辞麗句に聞こえて実は何一つ中身が感じられない言葉で介護のイメージアップを図ろうとする動きなんてのは寒気がするくらいです。そうした動きの代表格であるワタミグループの介護部門が売りに出されたなんて話は、「やっぱりな」くらいにしか感じられないわけです、個人的に。

kaigokojirase.hatenablog.com

 (今年もやるみたいですね。はは、すげーや)

 

そこで使われる美辞麗句、壮大な言葉。言葉のサイズが大きくなればなるほどに、そこには乱暴に捨象される余りにも膨大なディテールが存在している事でしょう。そして僕たち介護職の人間は、そのディテールの細かな変化から利用者の変化、回復、衰えを察知していかなければならないわけです。

言い換えれば、美辞麗句や壮大な言葉とは、そんなディテールが積もりに積もった上で本当に美味しいところだけを掻い摘んだ結果の表現だとも思えます。いいとこ取りですね。だからうんざりしてしまいます。

 

 

僕が介護において凄みを感じる瞬間というのは、ディテールをとにかく沢山語れる人に会う時です。

 

 

介護職に関してだと、医療にも関わってくるような身体状況について詳細に知っているというだけでなく、1日1日での表情、言葉遣い、何に反応して、どんなものに特に興味を抱いて、など、挙げればきりがないほどの要素において比較の基準にする事が出来ます。もちろん施設の規模やその人の役割によってある程度左右される部分があるので、単純な比較は出来ませんが。

 

 

家族介護者に関してだと、僕の少ない観測範囲からすると分かりやすく差が表れます。様々な状況、家庭環境があるので介護者を決して批判は出来ませんが、利用者ご本人をちょっと見ただけで読み取れるものです。

 

 

うちの施設に関して言えば、大前提としてご本人が大変な状態であっても在宅で出来る限り介護をする、というご家族が利用されるので、どなたからも凄みを感じてしまいます。例えば、

「午前2時頃独り言を喋っていた」

「午前4時くらいには起きて徘徊するので付いていった」

なんていう、一体いつご家族は寝ているのか、と思わされる事を朝の送迎時に報告いただいたりするわけです。介護者ご本人の生活時間の、決して少なくない時間がそうした事実の一つ一つに費やされているわけです。

その話ぶりは人によって様々で、笑い飛ばすかのように努めて明るくお話される方、疲れがにじみ出てため息まじりに滔々と語る方、もしや介護鬱?と思わされるが如くマシンガンのように矢つぎ早に語る方、淡々と事もなげに語る方も。

表現は様々でも、語られるディテールの細かさからは一様に凄みがありありと伝わります。

 

 

個人的にいつも思っているのは、愛情はディテールにこそ宿る、という事です。何かのマニアが自分の分野についてびっくりするほど詳細に喋り倒す様子を想像してもらえれば分かりやすいかと思います。マニアがマニアたる所以は自分なりの視点でディテールを追求していく事です。

 

 

だから、僕は送迎時に介護者から聞かされる情報の一つ一つを時間が許す限り聞いていたいと常に思っています。例えそれが非常にヘビーな愚痴っぽい内容、言い方だとしても、そこにあるディテールからは介護者が利用者に向ける愛情をどうしても感じるからです。そしてそれが顕在的なものでも潜在的なものであっても、応えるのが職業介護者の義務でもあるからです。

 

 

もし介護職という仕事の一つの重要なポイントを乱暴に捨象してまで語るのだとすれば、ポジティブであれネガティヴであれ、家族が発する利用者への愛情を職業としての介護の観点からご本人に還元する、という事になるでしょうか。そこには抽象的な綺麗事の言葉はありません。ただただディテールを一つ一つ、です。

 

僕もまた、ディテールを感じ取れる人、表現出来る人にならなければと思うわけです。

 

要介護3が一番大変

さて、ご無沙汰でした。いきなりですが書こうと思います。

 

 

要支援、要介護の認定、あるいは基準って何なんだろう、と最近思う事が、あるいは職場において話す事がちょくちょくあるのでその辺を吐き出そうと思い、書く事にします。

 

 

 

そもそも要介護認定とは何か、改めて見てみると、

www.mhlw.go.jp

こんな厚労省の記事に当たります。大雑把に一次判定、二次判定があって…なんて程度の僕にしたら、ほー、と思わず食いついて読んでしまうような内容でした。特に気になるのは「1分間タイムスタディ・データ」と呼ばれるものですね。一応コピペすると、

要介護度判定は「どれ位、介護サービスを行う必要があるか」を判断するものですから、これを正確に行うために介護老人福祉施設介護療養型医療施設等の施設に入所・入院されている3,500人の高齢者について、48時間にわたり、どのような介護サービス(お世話)がどれ位の時間にわたって行われたかを調べました(この結果を「1分間タイムスタディ・データ」と呼んでいます。)。

との事。出来る限り一般的な指標を作り出そうとするのであれば、これくらいの標本数が必要になるでしょうし、おそらく、結果もあながち間違いではないのでしょう。 二次判定で人の手によって更に精査されるという事を考えると、まず大まかに概要を自動的に判断するのは作業量の観点からして必要だと思います。

 

 

でもね、この指標、今の介護の流れにそぐわないよなーって思うんですよね。だって、国は在宅での介護を推奨していくわけでしょう。それなのにその為のサービスを受ける為の枠組みである要介護認定の指標が入所者から取られたデータを元にしているなんておかしい、というわけです。

 

 

うちの施設のスタッフがよく言うのは、「要介護3が一番大変」という事。勿論一概には言えない、という前置きの上でですが、例えば認知症による徘徊がある高齢者の場合、24時間付きっ切りでないと何が起こるか分からない、という事が容易に想像出来ます。在宅で介護をする場合ですと、介護者は何かしら家事などを行いながらも常に気にかけておく必要があるわけです。気が休まる暇は勿論、下手したら寝る暇だってありゃしない、なんて事も十分あるわけです。ところが以下の文章を読むと、先の「1分間タイムスタディ・データ」においては、

http://www.wam.go.jp/wamappl/bb05kaig.nsf/0/18487f3e5f70d4974925689a003b8747/$FILE/16%20要介護認定の質問_WORD97_.PDF

例えば、高齢者 の様子を気にかけながらその傍らで介護を必要とする高齢者に対する介護サービスとは特 定できないような一般的な家事をしている時間は要介護認定等基準時間算定の対象となっ ていない

 という事らしいです。何が起こるか分からないので、何か並行して作業などをしながらも常に側にいるというのは算定対象にはならないようです。

こうした場合に結果として何が起こるかというと、通所介護サービスの利用者及びその家族においては、必要十分なサービスが受けられない、という事が挙げられます。あるいはその要介護度が一つの要因として、入所が困難になるという事も。

時間の感覚がなくなり、いつ徘徊してトラブルを起こすのか分からない状態の高齢者を24時間見続けるのは不可能だからと毎日通所の予定を入れようとしても点数が足りず、なんて事が実際にあるわけです。そして、介護者が疲弊し切った頃に高齢者の認知症が進んで殆ど満足に身動きが取れなくなり、ようやく入所が可能になる、と。

 

 

一番大変で手がかかり気苦労が絶えない時期に必要とするサービスを満足に受けられないというのは如何なものなのでしょうか。

 

 

勿論、じゃあ入所者を増やそうだなんて事が出来ないのは重々承知していますし、そもそも介護従事者が圧倒的に足りていないという事も、そこに予算をつぎ込めないという事も一応は理解しています。とはいえ、そもそも介護がなぜ必要?と考えた時に、本人の次に必要になるであろう家族が助けられないというのはなんだかなあ、と思うのです。

 

 

久しぶりの投稿はこんなぼやきでした。

 

認知症の人を点で見ない

とても気になる記事を見つけたので取り上げようと思います。

honz.jp

 

以前もこのサイトから本を取り上げた事がありますが、これも目に止まって読みいってしまいました。「あー、分かる分かる」ってな感じです。

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新制度における加算と我が施設の日常について

4月に入って、新しい介護保険制度でのサービス提供が始まりました。何か変わった?いや、何も変わりません。法律が変わってサービスが急に変わるなんて事は当たり前ですが現場レベルではあり得ません。事務処理の部分では上の方で一部訂正やらなんやらで動いているようです。

そうそう、なんだかんだ給料の部分は、うちは上げる形になりそうです。何より。

 

 

さて、認知症加算やら中重度者ケア体制加算が絡むという意味で、うちの施設のような小規模で要介護度が高く認知症の進んだ方が大半を占めるデイサービスがどういった形の現場になっているかというのは注目されていくだろうな、と思います。現に上記の加算の話が情報として入ってから、それに反応したケアマネが利用者を一人新規で連れてこられましたから。

って事で、現状現場こんなよ、というのを羅列していこうと思います。

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資格至上主義者を倒す為には資格を取るしかない

先日上司と話をしていて改めて思ったのは、介護業界における資格至上主義的な考え方は、それを唱える人、あるいはそういった考えをもつ人にとっては自分の業界におけるアイデンティティーの拠り所なんだな、という事です。

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エイプリルフールに真面目ぶる

今日は4月1日ですから、エイプリルフールネタがネットでも氾濫していますね。皆さんいくつくらい見ました?僕は昨晩日付が変わった直後にIngressにパックマンが登場したのを皮切りに、今は無きJ's goalをもじったC's goalだとかGoogleの反転サイトくらいが主ですね。

 

一番はこれでした。ジョークっぽいようでジョークっぽさがなくて。

portal.nifty.com

 

普段面白記事を書くデイリーポータルがこんなシリアスな記事を、といった印象ですが、簡潔に高齢化社会の問題を指摘していて良いですね。読者層が幅広いでしょうから、そうしたサイトが、しかも注目を集めるであろうエイプリルフールの日にこれですからね。

 

 

簡単な更新ですが、ピンポイントに良かった記事なので紹介を、という事でした。